戦えぶりっ子=自己肯定感をあげよう=

日々のこと

※当方ぶりっ子に偏見を持っています。不快な人は回れ右してください。

自己肯定感が低いと、相手に気をつかい謙虚になり、いつのまにか周りがモンスターだらけになるそう

です。


今絶賛職探し中の無職です。

地方の為、またキャリアもなく異業種へ転職しようとしているためなかなか自分が募集できそうな仕事がありません。

昨日、高校卒業後20年以上某大企業につとめている知人に言われました。

「月収17万?もろもろひかれて?」

「いや、そこから引かれるよ。社会保険とか年金とか。」

「安すぎる・・・」

安いですよね。はい。

知人の給与をきいたことがあるので、低いですよね。ボーナスもたんまりいただいているらしいですし。

そう言われて自分て本当に失敗した人生を送っているなぁと少し思いました。お金がすべて、ではないですが、この年になるとやはりお金はあったほうが助かるというのは実感します。物価高、先行きわからぬ経済。病気、介護・・・尽きません。

失敗したとしたら、どこから失敗したのかな。生まれた時?もはや家?両親?

言ってもここまで生きちゃっているので仕方がない。しかし、ここまで自分だって自分なりに苦労はしてきた自覚はあります。誰だってそう、肩書、年収、外見、貯金額。友達の数、旅行に行く回数、フォロワーの数・・・人と比べるとなるとキリがない。


人と違う生き方を進んでいるのは怖いです。隣を見ると、家庭をもち子育てをしている同年代がいる。きっと、この人たちの人生は明るいのだろう、と勝手に思ってしまう。独身でも、起業をして楽しくくらしていたり、専門的な仕事についてたくさんの人の役に立っていたり。

しかし、その一方で心の病から休んでいる人もいれば、仕事が決まらずに1年、2年と探し続けるひともいる。様々な事情で働けない人もいますね。

人と違う生き方をするのはは怖いです。ここ数日、人に気を使って生活してきました。

苦手な人が話しかけてくるので、相手に合わせて話をしていました。ハッキリ言って、疲れました。

そのうちふと、「なんで私こんなに気を使っているのだろう。」と、なぜか、相手に合わせてなあなあにして生活していることがばからしくなりました。

理由を考えたら、周りの人を「めんどくさい人」「モンスター」「怖い人たち」と敵にしたてあげていたんです。だから、気を使って、そんなめんどくさい人たちを怒らせないように、面倒くさいことにならないようにと、一生懸命を気を使っていたわけです。はい。

しかし、しかし・・・そうやって我慢していたら私の毎日は無味無臭みたいな日常になりました。うわべだけの付き合い。あいつらに気を使って、なにか怖いことをされないように息をひそめて生活をしているような、そんな感じ・・・。

つまらない。

そう、ここで大嶋先生のブログをみました。(困ったときの神頼み!)

「自己犠牲」この言葉がヒットしました。

か弱い自分をささげることで、モンスターの怒りを鎮めようと、毎日気を使って話を合わせて生きてきた。そのため、モンスターはどんどん冗長していく。

モンスターを作っていたのは自分でした。

私の理想はとても高い。所作が綺麗で頭がよくて年を取っても美人で、いつもニコニコしていて、怖い人と言われるので笑顔を心掛けるようにして「笑顔が素敵な人」「頼りがいのある人」と言われるように頑張っていた・・・。

それが、いけないらしいです。(私の中では「素晴らしい人」「ちゃんとした人」になれば不快なことをされず毎日平和に嫌なことも感じず過ごすことができると思いこんでいました。)

(後日、美輪さんの「人生は修行」を思い出しました。「人生修行」って思っていれば、嫌なことが起きたり、嫌な気分が起きても「だって修行だから」と割り切れる、仕方がないことだと思えると。起きないことなんてない。必ず起きる嫌なこと。しかし私はマイナスなことに耐性がない。受け止められない。だから現実をみないで、自分の欠点だけ見てなんとかしようともがいていたんですね。)

「高潔な人」「いい人」を演じ、「わたし、弱いからいじめないで~(気を遣う)」とぶりっ子を演じているそんな人間にビビビを感じて、モンスターたちは「あのぶりっ子いてまえ~!!!」ってなるらしい。

人がどういう生き方を目指そうがどうでもいいやん、と思うのだが・・人の生き方に文句をつけるお前らの方がなんなん?と、思う。しかし、世の中そうはいかない。

「ずるい!そんないい恰好しやがって!」とか「か弱い振りしやがって!本性だせや!」と周りは仕掛けてくるのです。モンスターを作っているのは自分自身なのです。

じゃあどうしたらいいのか?

そもそもなぜ自己犠牲しちゃうの?

それは、自己肯定感が低いから。

だったら自己肯定感を上げればいいという話。

それができたら苦労しない!!!!!(大声)

しかしやらねばずっと変わらない。

しかしまあ、自己肯定感が低くて謙虚にして、気を遣う人=ぶりっ子というのをよんで衝撃でしたね。

「何弱い振りしてんの?」っていうことですよね。

「私弱いから、いじめないで~」って周りをはなから敵にして、か弱い自分を演じている。でも自己肯定感が低いのは、環境のせいだけでなく心の傷、トラウマもあって目に見えないから帰るのが難しいという問題もある。

わたしはぶりっ子が嫌い。種類は違うかもしれないけれども、同級生がそういうタイプで、担任の教師をメロメロにしていたっけな。私は愛されて育ったと思えないから、ぶりっ子はその逆で愛されて育っているからああいうことできるんだろうなって。ただの嫉妬です。

けれど、これじゃまるで自分がぶりっ子演じていると周りに思われているんだろうか?と気になる。そんな自分、嫌だなと思う。だってぶりっ子嫌いだもん。(二回目)

自己肯定感あげて堂々とした自分に、死ぬまでになれるだろうか?

自己肯定感の高い人生って、どんな人生なんだろうか??

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