ずっとちゃんとしている人になりたかった。
具体的に言うと
・いつも笑顔
・礼儀正しい
・人に文句を言われない、批判されたり馬鹿にされたりしない大切に扱われている人
・雑談がうまく、誰とでもうまくやっている
・なんかもう悩みとかなくて貯金とか将来設計とか計算して生きてて安定している
・メンタルももちろん安定している
・言いたいこと言える
・人付き合いがうまい友達多い
・プライベート充実友達もたくさん
ざっくりいうと、自分にないものを持っている人で、かつはたから見ても安心の中で生きている人のことです。順風満帆?
それから周りに愛されて、受け入れられて生きてて、自己肯定感が高い人。
ずっとそんな人に憧れて、でもなれなくて。
それで、今日気づいたことがあって、もしかしてちゃんとしている人っていうのは「我」がない人のことをいうんじゃないだろうか?と。
「我」もしくは「私」。
つまり、自分の感情とかなんかそういうものをいれずにただただ流されて?、素のままでいられる人のことなんじゃないかと。
主張しない。
けれども、自分の為にははっきり主張することができる人。
感情が入ると、どうしても嫌な気分に引きずられてしまって、物事の一部しか見えなくなることありませんか?
イライラモヤモヤしてそっちにに引っ張られているうちにだんだんいつもと違う自分になって他人のことばかり考えてしまうことってあると思います。
そんなもやもやを実は心の中にかけているのかもしれないけれども、笑顔で周りに合わせて?ふよふよと時の流れに身を任せているだけで、好かれていて大切にされていて周りといつのまにか一体感を感じている。
そんな状態が、ちゃんとしている人の特徴なのかなぁと思いました。
前に大嶋先生の本にも(またかよ!)書いてありました。
嫌いな上司からの仕事とか、わけのわからない効率の悪い仕事を頼んでくる同僚など「どうしてこんな意味のないことをさせるの?」とか思うのは当たり前だけれども、それをただ「御意。」と心の中で言いながらその仕事を受け取る。
「御意。」(ドクターX思い出す)
何も考えず、ただ「御意。」
そうすると余計な感情に(無駄な仕事させやがって!とか、この馬鹿上司が効率の悪い方法をさせやがって!とか)振り回されることがないのだそう。
確かに、これは無駄、とか白黒つけたがるとあいつは間違っているとかジャッジしちゃいますよね。ただでさえ、無意識的に頭の中でジャッジしてますよね。
https://insight-counseling.com/blog/395(←くわしくは大嶋先生のブログにかいてあります!)
さて、ここで考えたことが一つ。
人から悪口言われた時って、この「御意」は通じるのか?ということ。
新鮮な所で、今日ある人が急に、電話をかけようか迷っている私のところに来て目の前で何も言わずに立っていた。無言がいたたまれなくなり電話をしようかどうか迷っているという話をしました。(今考えたら、私がいたから用事があるのかと勘違いしてきたのかと)
そうしたら「電話するならこの部屋を使っていいよ」と言われたのだけれども、そのあとに「なんでもかんでも私に聞いたってわかるわけないじゃん。」とぶつぶつ言われました。
まるで、「私が何でもかんでも頼っているだらしのない大人。」みたいな人間と思われたのかとショックを受けました。まあ、そういうところもあるかもしれないけどさ。
そもそも私この人のこと呼んでないし、相談もしてないし、(だって急に目の前に来たら怖くないか、しかも階段で。)勝手に判断して勝手に文句言ったのあっちだし。ぶつぶつ・・・。
こういうとき、相手に言われた言葉を「御意」っていって考えなくすることってできるのかな?と考える。
相手からひどいこと言われた時ってどうしたらいいんだろう?とっさに言い返せない私って愚図だわ~とか思っちゃう。
そのあと、「見限られる恐怖」を唱えたら「どうせあいつに勘違いされてもいいや」とは思えたけれども、その後も、家に帰ってからもイライラしてもやもやしているからどうにも落ち着かない。
考えて考えて・・・考えすぎてこの話題から離れられなくなりました(おい!)
不快なことを考えるのはやっぱりよくないですね。
ここで一番危ない行動は、「自分の評価を取り戻すために行動しよう!」とか「悪口を言ってきた人に嫌われないように親しくするようにしよう」とか。
自分に非がある、大変なことになったらこわーい!といって何かをすること。
あぶないあぶない、私はなにもしないぞ。
「御意」に関する本がみつからず、ネットで漁ったらこの本をみつけて、もう一度読んでみようかと思います。結構ストレートに書いてある内容です。
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