突然ですが、好きなものを買う時ってどんな気持ちでお金を払いますか?
高い金額だと、ローン、リボ払いなどを使って買うこともあるでしょうね。
お金を支払う時、どんな気持ちで払っているのか考えてみたんです。
今私がはまっているのは着物。そう、あの着物です。
この間、展示会があって着物を買いました。金額40万円近く。
で、買ったあと後悔したわけです。
「ああ、なんで私今無職なのにあんな高い金額買おうと思っちゃったんだろう。このまま仕事も決まらなかったら・・・。老後のこととか考えると、失敗したかもなぁ。」
グルグル不安を抱えながら過ごしました。
当たり前ですよね、周りの人がこの話をきいたら、「は?馬鹿じゃないの?少しは自分の状況を考えて行動しなさいよ。大人でしょ!」と言われてもなんの反発もできません。
「全くその通りでございます。」としか言えない・・。
でも、最近の私は、いいと思ったのものしか買わない、買いたくないとおもうようになっているので見栄を張るためだとか、そういうお金は使わないようになってきていて、お昼ご飯も買うよりも弁当だし、飲み物も水筒に、自宅で食べるお昼もあるものですませてわざわざ出かけて総菜とか買ってくるのを辞めたんです。
なぜかというと、そこまでこだわらないものに関して、お金を払うことは無駄と思うようになったから、です。
以前は本当にじゃぶじゃぶつかってました。ストレスもあり見栄もあり。誰かが美味しそうなジュースを飲んだりしていると「私も飲みたい!」「なんか勝ち組みたいでうらやましい!」とか思いながら真似して買ってみたりしていました。
すごい人に見られたかったんです・・・。
例えば、シャンプーって最近高くて1000円くらいするものも普通にドラックストアで売ってるじゃないですか。一度試しに使って、よかったんですけれどやっぱり値段が高い。
毎日使うものだし、節約のために安い方のシャンプーを使うことにしてみたら、髪がボサボサ、洗った後の仕上がりが全く違うということに気づき、結局高い方のシャンプーに戻りました。朝のヘアセットの時間の短縮にもつながったので。
結局節約にはつながっていないんです。けれども、毎日髪を洗う時に充実感を感じます。
「やっぱりこっちのシャンプーにしてよかったなぁ。いい匂い。明日のヘアセットも適当でOK!」と。
買う時、お金を払うのにも罪悪感は感じません。だって、これがいいんだし、私が欲しいものだから。
その代わりに、本当にほしい、素敵!ワクワクする!と思わないものは買わなくなりました。
「これにお金払うの?」という感じで、妥協の範囲が以前より狭くなりました。
ないから買わないと!というのも減りました。
それは、「なくてもなんとかなる。」ということに気づいたからです。
例えば、旅行に行く前にあれもこれもと普段使わないような歯ブラシセットとか、ポーチとか。あれこれ準備して買うんですが、結局一度も出番がなく旅行先に運んでそのまま持って帰ってきたみたいなことが何度もあります。
旅行から帰って来ても、結局それらは使わないのでただの無駄使いに・・。
欲しいものにお金をつかうとき、うきうきしながら「お願いします。」と言えます。
気を使って買うもの(職場へのお菓子とか)、見栄を張るため、欲しくもないのに買わされるとき、一か所だけでも気に入らないところがあって妥協して買う時、うきうきしてお金を払えるでしょうか?
たぶん買った後「あーあ」って思うと思います。
たぶん、あんまり使わないで、しまっておくと思います。だって、使っていても「あーあ。」って言う気持ちがセットでついてくるから。
どうせならご機嫌で使いたいですよね。
最近思うのですが、昔の人たち・・江戸時代とか明治とか。衣食住を補うだけのお金でなんとか生きて行けたんですよね。それなのに今は、昔よりもはるかに住み心地もいいのに、法律も、便利さも段違いにすばらしいのになぜか生きるのが大変だと感じるのは気のせいでしょうか?
物価が高いのもあるし、文化も変わって常識も変わってきていること、個の独立が当たり前になってきていることもわかるけれども、本来生きるため、生活するために必要なお金ってそんなにたくさんなくてもいいんですよねぇ。
それなのに、自分も含めいつもお金の問題に振り回されている気がする。ニュースも老後の話とか、扶養の話とか雇用とか、そんな不安をあおるような話をするので私はニュースを見ません。
気持ちが暗くなってしまうからです。
お金を使うなら、自分が本当に好きなものにだけ使えたら、少ないお金でも豊かに暮らせるんだなぁと感じた、風が強い今日この頃です。
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