わからないことできないことはすべて無意識さんに丸投げする④

日々のこと

ふいに、頭の中に浮かんでくる自分を責める言葉をきいたことはあるだろうか?

「老け顔のおばさん」とか

「えらそうな女」とか。

急に、自分の中に湧いてくる言葉がある。

それは、一人でも二人でも湧いてくる。

果たしてそれを自分に言っているのは誰なのだろうか?

以前、ミラーニューロンの記事を書いたことがあります。

他人脳と自分の脳がつながってしまって、相手の考えがビビビッと伝わってきてしまうというもの。

それは離れていてもその場にいなくても関係ないという。下手をしたら、誰かのことを考えただけでその人の脳とつながっているという怖ーいもの。

しばらく会ってない遠く離れた友達のことを考えていたら、その人から電話がきたとかそういうのと同じような現象。

とにかく、そういう話をもとに考えると、自分の中に湧いてくる「おばさん」とか「生意気女」とか自分を批判する言葉はすべて誰かからの言葉。それが、暗示となって自分の中に定着されてしまうそう。それって怖い。いつの間にか「自分はおばさん」とか「私って本当に生意気でさ~」とか、人から流れ込んできたイメージがそのまま自分に定着し、気づいたらその通りの人間になってしまっているという状態。他人からの暗示で、作られている自分が完成する、ということ。

怖い。めちゃくちゃ怖い。

じゃあ、本来の、暗示のかかっていない自分ってどういう姿なのか。それはもうまったくもってわからない。べたべたと他人から入れられた暗示で自分が構成されまくっていたら、本当の自分の姿なんてわかるはずもないじゃない。

しかも幼少期からずぶずぶに自分に暗示を入れてくる人が身近にいた。そう両親である。

「うちの子ったら本当に無口で~。」

「あんたは本当に片付けができない!どうしてできないの!」

親にこうやって叱られる、言われてきた「この子は○○な子」という考えはそのまま暗示になってすりこまれる。いわば洗脳ですよね?だからいつの間にか、自分がどういう人間なのか、すでに親に形づくられてくるわけだから、本当の姿なんて考えたことがなくなってしまう。両親だって完璧じゃないから、どうしてうちの子は片づけをしないのだろう?とか、人見知りなのだろう?とか、突き詰めて我が子とコミュニケーションをとることもしないと思う。行動のみを見て、「この子は~」と決めつけることもあると思う。別に責めてないですよ。

もしかしたら、こういうのがあるから人は「自分探しの旅」とかいって、ふらりとどこかへ行くのだろうか。だって、一人でいれば少なくとも、他人の脳と自分の脳の中につながりはなくなり、暗示から逃れることができるから。

さて無意識さん。この無意識さんは、大嶋先生の本から何度も出てくる言葉だったので、私もいつも使っていた。自分のせいにしてしまうときは、それをすべて「無意識さんのせい」とすることにしていた。

今日、私がミスをしたのは無意識さんのせい!

今私がこんなに悲しい気持ちになっているのも全部全部無意識さんのせい!!

今日余計なことを言って、場が白けたのも無意識さんのせい!!

そうして全部無意識さんのせいにして、自分のせいにするのを回避していた。だって、自分を責めると自分の免疫系統を破壊し病気になるかもしれないという事例を読んで、いかに自分責めが体に悪影響を与えるのかということがわかったから。それに、自分責めって大体他人のために行っていることだったので、「どうして他人のために体を壊して自分を責めないといけないの!」とおもったから。だから無意識さんにすべての責任を押し付けることにした。

遅刻をしそうなのも無意識さんのせいよ!と。だから無意識さんの話についてはするりと入ることができた。人のせいにすることができない優しい?いや、臆病な自分の行動の責任を、「無意識」というあったことも今まで意識もしたことがないものにゆだね、放り投げるだけの簡単な作業だったから。

簡単にいうと、(簡単にも言えないが涙)意識するとうまくいかない。けれども、意識をすればするほど意識をしてしまうのが原因で無意識さんの力を使うことができない。○○さんのせい!と、他人のせいにしてしまったら、どうしてもその人に気持ちを、意識を持っていかれてしまう。そうするといつもの自分とはちがう行動をとってしまうことになるかもしれない。

それは、例えば○○さんを意識しすぎて暴言を吐いてみたり、その人のことをずっと考えて仕事が手につかなくなり不快な感情で満たされてしまい自分の時間がなくなってしまうこと。それは、ある意味その人に支配されているということになるのかもしれない。そうしたら、あの「おっさんの愛」に他ならない状態になってしまう。だったら、その意識を減らすことをしよう、というのが無意識さんを発動させる方法らしい。

それが「無意識さんあとはよろしくお願いしまーす。」というだけ。

(本当は他にもちゃんと書いてあるけれども、これははっきりこうこうこうですよ。というと、意識が働いて無意識さんを意識しすぎてしまうかもしれないからこれだけ書いてみます。これから本を読む人もいるかもしれないのに、私が下手なことを言ってしまって邪魔をしたら申し訳がないので。)

意識って、例えば「この本読まなきゃ。」と思えば思うほどなぜか読めないときがある。それを何日も続けているうちに全く本が読めていない現実を見て、「ああ、本1冊も読めない自分はなんてダメなやつなんだ。」と意識がますます暴走しだすということを経験したことがあるかもしれない。それは、読書に限らず、ダイエットだったり、掃除、家事、勉強だったりするかもしれない。

やらなければならないことを、やろうとすればするほど手がつかないのは意識しすぎているから。「見るな」と言われると見たくなるあの気持ちににているのかもしれない。意識すればするほど、見たくなる。

だから、できないこと、苦手なこと、とりあえず無意識さんに丸投げする。

私の場合は、苦手な人とのかかわりだったり、仕事探しに書類作成、それから勉強。すべて無意識さんに朝と晩にお願いしている。

「無意識さん今日も一日ありがとうございました。この先もよろしくお願いしまーす。」と。

はじめは効果がない。ないけれども、結構数日で、淡々と体が勝手に、無意識さんにお願いしていることを実践してくれるようになる。「さあやろうかな。」と予備動作をつけることもない。気づいたら勝手に散らかっている本や服を手に取って、淡々と掃除をしている自分がいる。また勉強だったり、苦手な人とのかかわり方だったり。

逆に、お願いしているのになんにも変化がないことがあった。そう、それは数日前までの転職活動。困ったことに、仕事をするという意識に全くなれずにうだうだと過ごしていた。(やばいよねー)

無意識さんに毎日「居心地がよくて、環境がよくて給料がいいところに行けますように。」とお願いしているのに全く行動できなかった。あまりにも、動けないので「無意識さん私の言葉、お願い聞いていますか?」と最近では無意識さんを叱るように・・・。自分の理想が高いのはこの際無視。

が、最近急に転職活動を始めだした。(他人事みたいにいうな)なぜこのタイミングなのだろう?と考えると、この時期希望の求人がたくさん出てきて選ぶ余裕が出てきたから。ハッキリ言って、最近まで希望の求人、条件が合うものはなかなかお目にかかれなかった。いや、といっても、選んでいるのは新しい求人ではなく、前から目をつけて悩んで重い腰があがらなかった募集案件ばかり。これは一体どういうことなんだろう?と不思議でしょうがない。

なぜ、このタイミングでやる気がでたのか?

けれど、考えるのをやめた。それはきっと、どうして今までやる気がでなかったのか?という問いを考えることと同じ意味だと思うから。とにかく私が勝手に転職活動をしているということは無意識さんが「今だ。」というGOサインをだしているのかもしれない。

ということにしてみるので、私は特に考えずにいつも通りに検索機で仕事を探し、相談してそれを繰り返すだけ。

こうやって、何でもかんでも無意識さんに頼んでいて、失敗したらどうするの?という気持ちにもなる。けれども、改めて考えなおすとやる気がでなかったときと今では明らかに情報量がちがう。今まで週に一度はハローワークに通いいろいろな求人をみては話を聞いてきた。それが、頭のなかで一つの情報としてグルグル回っている気がする。面接の仕方もきいてきたし、他の人がやるのを見て勉強にもなった。そう思うとやるきがなかった時期も、決して無駄な時間ではなかったのだなと思うことができる。

そう、すべてはここに行きつくための伏線だったと考えると面白いかもしれない。今までの辛いこともなにもかも。

だから、考えてもわからないことは考えない。考えることを放棄することも大切だと思う。今までさんざん、将来の不安に対して考えて生きてきた。結果、毎日苦しい思いをして生きてきた。もがけばもがくほど、足元をグルグルとテープでぐちゃぐちゃにからめとられそのうち動き回ることができなくなるほどの苦しさを、我慢を自分に強いてきた。

すべての不快なこと、わからないことはすべて無意識さんに丸投げする。

そのまま無意識さんに苦手なことを投げていって、自分の快のことばかりやっていったら一体この先自分はどうなるんだろう?とたまに考える。そういう時のワクワクした感じが、今では好きである。

というような話が大嶋先生の語る、「無意識さんの力で無敵に生きる」ということだった。単純な呪文なのに、奥が深い。

考えすぎるから、うまくいかない。

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