またまた大嶋先生の本を読みました。
これをよんで思ったことをかきたいと思います。
※個人的解釈、考え方です。
(今まで心屋仁之助さん、本田晃一さん、タマオキアヤさん、ナリ心理学等々いろいろな方々のブログ、講演会動画、講座申し込みなどをしてきました。その中で、すっと心に入ってきたのが大嶋先生の著書でした。それ以来、大嶋先生の本を買いあさり考え方含め興味があり実践したりしています。)
なぜ自分はいつもグルグル思考、嫌なことを考えて止まらないのか?
不快なことを一つ考えるとなぜ次々と不快な過去のことを思い出し考えてしまうのか?
その謎が解けた気がしたのがこの本のおかげです。
例えば、相手の不機嫌な顔を見てしまい、それは自分が原因であると結び付けてグルグルと不快な世界へと入り込む、ということがよくあります。
そうすると、次々と、過去に同じように自分と話していた相手が不機嫌になったときの場面や、自分が発言したことにより場の空気が白けたような気がした時の場面を思い出してはグルグル思考から抜け出せなくなり、数時間、ひどいときは一日ほど抜け出せないときも。
(これが日常です。
この苦しみは、わかる人にはわかっていただけると思います。
精神的な病名がついているわけでもないのに、感じる生きづらさというかなんというかとにかく生きるのがしんどいという感覚。)
そもそものグルグル思考の原因は、相手の顔が不機嫌そうに見えた、だから自分に原因があったのかもしれない。そう思ったことから始まっています。
これが原因なのに。
なぜ、次々と過去の似たようなことを思い出してその世界に浸るのか?
浸る意味がわかなない。でも、それがいつものことだからもう癖になっているので抗うすべもわからない。
楽しいことをしたらいい、考えたらいいというけれども、一瞬は楽しいことをしていても抗えないときだってある。もとに戻ってしまうんです。せっかく楽しく過ごしても、それが終わると夢から覚めたようにまた同じことを考えてグルグルしてしまう感じ。
楽しいことをしようとしても、どうしても不快なほうに引っ張られてしまって、無駄な時間をつぶすことになるんです。あるいは、楽しいことなんてない、という状態にまで陥っているときもある。
それで大嶋先生の本をよんで、個人的にそうか!と思ったこと。
それが、その出来事(不機嫌な人の顔)を通して起こった、自分の中の不安と恐怖。その正体=感情を隠すため(見ないために)、過去の嫌な思い出を思い出しているということである。
いわゆる隠れ蓑ですね。
相手が不機嫌な様子をしたことにより自分の中に起こった感情(不安恐怖)、それを見たくないがために感じたくないがために、不快な場面を思い出してはそれと向き合わないようにしている。
わかりやすくいうと、見たくないものにふたをするといえばいいのかな?
見たくないから、向き合いたくないから蓋をして見えないようにしている。
でも蓋をしてもその感情はなくならないから、ずっとグルグルしている感じ。本当の感情を整理することができないから、似たような感情を引っ張り出してきて似たような思いをさせ続ける。(この時点ではまだトラウマの本を読んでいないので今はこの解釈です。)
でも、過去の感情でなく、昨日今日の感情を処理しないといけないのに、昔の感情を引っ張ってきてグルグルしているわけだからいつまでたっても新しい感情は処理されない。
本当に片付けなくちゃいけないのは壺の中身の方。
(民間療法ですが、蚊に刺されるとかゆくなる。だから、わざと手の甲をつねるとかゆいのがつねる痛さに消されてかゆくなくなる、というのやってみたことありませんか?あれと同じことだと思います。かゆみという不快を、痛みという不快で打ち消すような感じです。)
色々書きましたが結論から言うと、私がその相手の不機嫌な表情という出来事から感じたくなかったのは不安と恐怖という感情でした。
「自分には相手を喜ばせる能力がない」とか、「人と雑談をする能力がない」「人の気持ちがわからない」など。
これから先人とコミュニケーションをとることが不安。
コミュニケーション能力がない自分の能力不足から起こるかもしれない将来への不安。
誰とも適切な会話をすることができず、いずれ孤立しどこに行っても一人になって惨めな思いをするのではないか?という将来に対する恐怖と不安です。
(恐怖と不安の定義は人それぞれだと思います。)
それをみたくないから、ずっと頭の中であのときの不機嫌な相手の顔を繰り返しグルグル回している。それだけでは足りないので、過去の同じような出来事を見つけてどんどん材料を付け足してグルグルする力を高める餌を与えてあげるという仕組み。
そうするといつまでたっても、その下にある本当の気持ち、本当の不安と恐怖を感じる必要がない。
ただこれは自身ががそうしているのではなくて、脳が勝手にそうしているらしい。
なんということでしょうか・・・・笑えない。
人は嘘をつく、それは自分が自分に対しても同じことをしているなと思う。(脳が勝手にやっているならばもうどうしようもない。)
大嶋先生がおっしゃる、「人の気持ちはわからない、自分の気持ちもわからない」というのは本当にそのとおりだと思います。
グルグル思考の不快な世界にハマりずっとそのことしか考えられないのだから、それが真実であるかのようにしかとらえられない。だって、頭の中では事実、相手が不機嫌な顔をしたという現実に起こったことを繰り返しているのだから、まさかそれがダミーだなんて思わないでしょう。
しかし、FAPの本にもかいてあったけれども、本当の気持ちがわかるとその感情は居場所をみつけ、適切な場所に処理されるのでその感情は出てこなくなる、と心の傷関連の本でお話されていた。
ということは、グルグル思考の下にある、「自分が本当に感じている恐怖、不安」を探し出し、それに向き合えばそのグルグル思考は終わるということになるんですよね。
そんなことが書いてありました。
まあすぐにそれができたら苦労はしないんですけれども・・・。(笑)
どうしてもグルグルするとずっとその世界が正しいような気がして抜け出せない、客観的な視点から物事をみることが不可能になってしまうのが怖いところ。
そんなときは、脳が発作を起こしているのだと考え、「思考の中和」を何度か唱えるようにしている。
まあ、でも最初のうちはグルグルしていることに気づかずに、大体わすれちゃってしばらくグルグルしているけれども!!あるとき、ハッと気づいて「あ、グルグルしてる私。呪文呪文。」と思う時が来る。大体グルグル思考のときって、居心地わるいから(笑)なんかやなかんじーとか思ったら唱えるようになれるのはそう時間はかからないかもしれない。
最初のうちなんて、ずっと唱えてましたし。「あ、グルグル終わった!」と思ってもまたグルグル不快な気分になり唱え・・その繰り返しでした。
これ一日唱えてないとダメじゃん!と、どれだけ自分の思考はずっとグルグルしていたんだと気が付き「これじゃあなんも集中もできなくて当たり前じゃん。」と気づいたときの感覚は今でも忘れられません。
グルグル思考って、過去の嫌なことを考えて自分責めをして自分のことを考えている時間、と思っていたけれども、実は他人のことを考えている時間です。そう考えると、どれだけ他人のために自分の時間を使ってあげていたのか?という他人軸だった自分にも気付くことができました。
こんな長い文章書いて、結局言いたいことはなに?となると思います。本当にすみません。
まず、グルグル思考がはじまったら、本当はなにが怖くて不安なの?
なにが見たくないの?
その下にある本当の気持ち=感情を見つけることが早道です。
グルグル思考はダミー。これを合言葉にして、自分の本音をみつけてその世界から抜け出す。
そうすることで、他人のために考える時間もエネルギーも自分のために使える。
どんどん自分目線で、自分を中心にして行動して考えることができるようになるからこれからのの生き方も変わるかもしれない。
今までさんざん苦労しては何度も諦めようと思ったけれども、一筋の光が見えたようなそんな気がしています。
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