読んだら何かが変わると聞いて、読んでみた①

日々のこと

大嶋先生のブログを、ちょこちょこ見ているのですがその中で読むと人生変わる(そこまでは行ってないかもしれませんが)という本が紹介されていたので読んでみました。

大地 パールバック著

まずは1巻を読んでみました。図書館で借りたらすごい年代を感じる本・・。私が借りたのは1997年発行のものでした。紙が黄ばんでなかなかいい味をだしています(笑)

色々な登場人物がいますが。1巻を(全4巻)を読んで思ったこと。

この本の登場人物の中で、一番幸せだったのは誰だろうと考えました。私が思い浮かんだのは主人公の末の娘。生まれつき知能が低く、誰かに世話をしてもらわないと生きて行けず、一日中ずっと布の切れ端を折ったり広げたりして過ごしている子供です。主人公=王龍も、息子とのいざこざ、妻と妾、叔父との問題があり嫌になると、その末娘を見ては癒されていました。一番ほっとする存在。

なぜこの末娘が、一番幸せかと考えたのか。

それはこの子供が何も考えなくていいからです。

主人公含め、他の登場人物たちはいつも何かしら悩み怒り、対立していました。

しかし、この末娘はなにも考えることなく、毎日同じこと(布の切れ端を折ったりして遊んでいるだけ)なんです。楽しければ笑い、辛ければ泣く。ただそれだけのことを繰り返して大きくなっていきます。でも、誰かの手がないと生きていけない。

私は、毎日自分の中に起こる感情を制御することができずにもがき苦しんでいるから、この子が幸せでうらやましいと思いました。

以前、なんの感情も起こらないのはロボットと同じと、何かの記事に書いたことがあります。

考えないということは、こういうことなのでは?と。

考えないのは楽でいい。嫌なことも苦しいこともない世界にずっといれて。

しかし、その後主人公は年を取り、自分が死んだらその末娘には毒を盛ってほしいと(ハッキリとは言ってませんが)主人公は一番頼りになる者に頼みます。なぜなら主人公が死んだら、誰もその末娘を頼めるものがいないからです。

主人公は、晩年息子が3人、孫が10数人と大きな家に暮らしていましたが、いつも息子、またその嫁や叔父の息子などに悩まされていました。自分の問題(お金持ちになり財をなす)が解決しても次から次へと問題がやってくるのです。

そんなときに、末の娘を見て癒された。だから、お金に困り、末の娘を奴隷として売り飛ばそうという局面になっても売り飛ばすことはせずにずっと手元に残していました。まあ、優しい人だったんですよね。

誰かがいないと生きていけない。それはしょうがないことだけれども、私はそそれでいいのかな?と。まだ考える脳みそも力も残っているのに。いろんなものに削られてすり減ってはいるけれども、たいてい自分の意識次第でなんとかなる。逃げることも含めて。

嫌な環境、合わないところにいるなら逃げればいい。

あと、印象的だったのは主人公が何回か唐突に土を触りたい、踏みしめたい、種をまきたいと思うことですね。それをするのが本能のように、それをすることによって自分に戻るというか。土地があるから自分もいるみたいな、生きがいでしょうか。生来百姓の血が騒ぐというか、これをしていれば自分に戻れるというのが土なのだと思います。

そういうものが、自分にもあればいいのに。それはまだ見つかってないし、気づいてないだけかもしれませんが見つけられればいいと思います。

これをしているときだけは、何も考えなくて済むもの。

毎日、でもなくとも定期的にこれをしていれば落ち着くみたいなものがあれば人は自分を取り戻すことができるのではと。それが生きがいというものなんでしょうか。ちなみに私は洗濯や、トイレットペーパーなどを買ったり生活をことをすると少し落ち着きます。

こんな感情ぐちゃぐちゃなのに生きているわ、と思えるからなのかもしれません。

とりあえず1巻の感想でした。

書いてある時代も今と違いますけれども、あれこれ考えることよりも生きることに必死ですね、今の社会はそこまで必死にならなくても食べるには困らない。だからこそ余計なことを考える時間がたくさんあるんだと思います。

生きることだけを考えるなら、あの人が嫌いとか私は嫌われているとかそんなことは考えなくて済むんでしょうね。考えても一日中考えるということはないのかもしれません。

次は2巻を読みます。

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