謙虚すぎるのはもう遅い時代?自分を守る簡単な方法。

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いつもなにかに追われているような感覚で、じっとしていられることも、ぼーっとしていられる時間も少ない。

疲れていても、体調が悪くてもなにかをしなければと急き立てられるような感覚にとらわれる。

気付いたら、周りには物がたくさんあふれていて、あれもできていない、これもできていないと焦る。そんな感覚を感じながら生きている方はいるでしょうか?

足らないから足していく。

周りに劣等感を抱えているから、いつも安心できずに短所を隠すために勉強をする、資格を取る。

でも、頭の中では、知らないうちに勉強をしている自分よりも周りの方が劣っていると思い込んで、自分は周りの人よりも偉い!という感覚になって周りをさばいている。

それはまるで「神」のような感覚で、あの人は性格悪そうとか、不幸そうな顔だとか勝手にさばいている。真実をしることができるのは「神」のなのに。

このような感覚を万能感、というそうです。

自身がない自分を演じていながらも、内心では自動的に自分は素晴らしい自分だと思い込む。

それは本人の性格などとは関係なく、心のバランスをとるために心が勝手にしていることらしい。

この、万能感に支配されていると、「自分は優れている人間」なのに、実際は「自身がない自分」がいるわけだから、わけのわからない状態になる。優れているはずなのに、なにをやってもうまくいかないという現実を見て自信を失う。

すると、ますます自分は優れていると、シーソーのようにギッコンバッタンあっちへいきこっちへいき。バランスをとり続けるものだから、ますます現実を見て自信がなくなるという無限ループにハマるそう。

今日も大嶋先生の本を読みました。勉強になります。

昔は、謙虚であることが美徳である、と言われていましたね。

しかし、今の時代に謙虚なことを言うと、単純に「自信がない人」という評価をうけることが多いそうです。謙虚の裏にある、目には見えない堂々とした自信とか、素晴らしいものを見ることが昔はできたのに、今は目に見えるものしか見ることができないということでしょうか。ご謙遜を!という言葉が聞こえてきそうです。

昔はよくドラマで、「この人こんなこと言ってるけど本当はすごい人なのよ。」というセリフがあちこちで聞かれた気がするのですが、今はそういうものは少ないような気がします。水戸黄門のハハーッというあの感じ。

時代もあるのでしょう。

文化も変わってきたせいもあるでしょう。

今はよくもわるくも「個」の時代。自分を発信、表現できる人が評価されるようになってきました。ユーチューバーしかり、インスタ、起業そういう人たちの方が輝いてみえる。自分を出している方が、すごい。目に見えているものが真実のような感覚。

それまで日の目を当たらない技術が素晴らしい職人さんが、テレビで紹介されると一瞬にして人気になるあの感じ。紹介されるまでは食べるのも困るほどの生活だったのに、テレビという媒体を通して紹介されたことで「この人は素晴らしい人」という評価を万人から受けることになる。けれども、本人は「自分はなにもすごいことはしていない」といったら?「ご謙遜を!」と言いたくなる。

しかし、この職人さんが、日の目を見ず、生活にも困っている状態で「自分はなにもすごいことはしていない」といったら?「ご謙遜を!」というかどうか?生活に困っていそうで、作品も売れていないっぽい。大変そうですね、となる。

全員が全員、自分のことを知っているわけではない。だから、謙虚すぎることもなく、褒められたら受け取るほうがいい。

謙虚なことはすばらしい。たしかにそんな時代もあった。

しかし自信がない人が、褒められたら素直にありがとうということや、自分のことをアピールするなんてもはや清水の舞台から飛び降りるくらい怖い感覚に陥ってしまう。

調子にのっていると思われるんじゃないだろうか?

社交辞令でいったのに本気にしやがってと、馬鹿な奴と思われるかもしれない。

単純な人間だなあ。

そんな恐ろしい未来が自分に降りかかってくるのではないかと怖くなる。

私も、褒められると「こいつは私のことを何かに利用としようとしてこんなことをいっているんだ!」とすぐに戦闘モードになり、なかなか誉め言葉を受け取ることができませんでした。何かをしてあげて、お礼をいわれても「大した事してませんから」みたいなことを言っていた。このくらいでお礼をいわれて、「はい」と受け取ったら、「このくらいのことで自信満々に役に立ったみたいに思いやがって!」とか思われるんじゃないだろうか?と怖かったから受け取れなかった。

今考えるとすごく嫌味な人。

最初は褒められてもすぐに「ありがとうございます」というのはとても違和感があると思います。しかし、次第にそれも慣れていく。褒められるということは、ただの挨拶。もしくは会話の中の潤滑剤程度にしか思わなくなります。

以前は人を褒めるとき、少し馬鹿にしたような感覚をもちながら人をほめていた私。褒めれば喜ぶ人がたいていだったので、ほめておけば適当に会話も進むなど失礼なことを思っていました。傲慢ですよね。

それが私の中の考え方だったので、自分が褒められたときに「この人は私のことをなにか騙そうとしているのではないか?」「裏があるのではないか」、と疑ってかかっていました。だから、素直に受け取ることができませんでした。

自分が思っていることを他人も同じように思っているという感覚を人は抱いているらしい。この現象を心理学的には「フォールス・コンセンサス効果」というらしいです。

もしかしたら、褒められたことを素直に喜べないという人の中には、これが原因の人もいるのではないでしょうか?もしかしたら、褒められることを素直に喜べないという人の中には、これが原因の人もいるのかもしれません。

謙虚になりすぎない。

それは、自分を守るための行動にもつながります。

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