私が変なんのかもしれないし、あの人が変なのかもしれない

日々のこと

自分を責める人って他人を責めません。

当たり前ですけど。

ここで、結構強烈なこと、いいますね?

「自分を責めてばっかりいると、強烈に老化が進行しますよ?とくに顔が。」

そう言われたら、「え?」と思いますよね。

やばいと思いましたか?

自分を責めるのやめようと思いましたか?

(実際わたしは実年齢×自分を責める時間だったので、老けました。本当に過去に戻りたいです。)

考え方は人それぞれだと思いますが、大体自分を責める理由は他人にあると思うんです。

相手のことを思って、自分のことを悪くいったり責めたり後悔したりしていることが多いと思います。

「あの人の不機嫌な顔は、私がなにか失礼なことをしたのかもしれない。」

「今日は、全員に避けられていたような気がする。きっと、私のなにかが気に障りそれが全員に伝わり仲間外れにされたのかもしれない。」

「空気を読まない発言をしてしまったかも。私が話した途端静かになったもんなぁ・・。あーあ、私って本当にダメなやつ!」

「仕事でミスをしたけれども、誰も言葉をかけてくれなかったし、手伝おうとか言われなかった。他の人がミスをしたときは、みんなあの人には親切にするのに、どうして私にはそれがないんだろう。やっぱりわたしはどこか間違っているんだろうな。」

自分VS他人

他人軸だと、他人のことばかり気になって自分を責めているうちに、ダラダラと無駄な時間を過ごしてしまい、そしてまた「今日も何もできなかった。」と後悔して一日が終わる。その繰り返しではないでしょうか?

そして夜が明け、一日がまた始まり、また自分を責める。

ここで、一番初めの言葉に戻りましょう。

「自分を責めてばっかりいると、強烈に老化が進行しますよ?とくに顔が。」

他人のことを考えて自分を責めてばっかりいると、強烈に他人のせいで老化が進行しますよ?とくに顔が。」

他人のせいで。

一度考えて、振り返って考えてみる。

その、自分を責める原因になっている他人は、自分にとってどんな存在なのか?

恋人ですか?いいえ、職場の人間、上司です。

子供ですか?いいえ、たまに会う知人です。

他人と言っている時点で、身内ではないですよね??

人間関係を図る図として、こういう図があるのを見たことがあると思います。

中心が自分で、自分を囲む人たちが遠くなるほど関係性が薄くなるというのがわかると思います。

他人とは、人によりますが大体はこの一番外側の「職場の人たち」に該当するのではないでしょうか?

この「職場の人たち=他人」のため自分を責め、わざわざ老化する行動をしているということ知ったとき、恐ろしいと思いました。

どうして他人のために老けないといけないのか?

しかし、それがわかったとしてもすぐに考え方をかえて、自分を変える、責めるのを辞めるなんてことはできないよ!というのが当然だと思います。

長年染みついた癖は、すぐに取れることはできません。

なので、これからは自分を責める言葉が浮かんだら、とりあえず相手のこともワンセットにして責める言葉を意識してみてはどうだろうかと考えました。

「あの人の不機嫌な顔は、私がなにか失礼なことをしたのかもしれないし、あの人自身が失礼なのかもしれない。

「今日は、全員に避けられていたような気がする。きっと、私のなにかが気に障りそれが全員に伝わり仲間外れにされたのかもしれないし、わたしがみんなを仲間外れにしているのかもしれない。

「空気を読まない発言をしてしまったかも。私が話した途端静かになったもんなぁ・・。あーあ、私って本当にダメなやつ!かもしれないし、みんながダメな奴なのかもしれない。

「仕事でミスをしたけれども、誰も言葉をかけてくれなかったし、手伝おうとか言われなかった。他の人がミスをしたときは、みんなあの人には親切にするのに、どうして私にはそれがないんだろう。やっぱりわたしはどこか間違っているんだろうな。かもしれないし、みんなのほうが間違っているのかもしれない。

支離滅裂な言葉に聞こえるかもしれませんが、とりあえず自分が言った言葉を打ち消すための言葉なのでいいんです。とにかく自分が言ったことを真実にしないために、打ち消すための言葉をうしろにつける。

名付けて、「かもしれない運転」。

※銀魂より

昔夢中で読んでいたけど、銀魂って結構いいことたくさん言っているんですよね~本当に。このくらいのダルさで生きて行けたら最高だなと思いながら読んでました。

とりあえず、「かもしれない」で、自分の責め言葉を打ち消して、老化を防ぎましょう。アンチエイジングにもなります。

かもしれない。

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