今思うと遠回りしてきたなぁと思うことがたくさんあります。
あの人に聞いて余計に話がこじれた、とか。
他人に意見を求めて、そのアドバイス通りにした方がいいのかなというとおりにしたら結局うまくいかなかったこととか。
数えたらきりがありませんが、そうやって人は遠回りをしながら少しずつ成長して、少しずつ「自分なりの方法」というものを作っていくのだと思います。
※今から話す内容は、誰かを批判したいとう意思はありません。
10年ほど前、離婚を機にさらにメンタルが落ちていた時期、たくさんの心理系の本を読みました。
起業して独自の視点とやり方で生きづらさを抱えている人たちを助けているひとたち、その方たちの本を死ぬほど読み込み、セミナーにも行ったりしていました。
たまにラインで無料で話を聞いてくれることもあったので、(売れる前はそういう無料のサービスが必要になります。飲み物を売る前の試飲みたいなものですね。)それを利用させてもらって相談をしたこともあります。
カウンセラーは、「傾聴」が基本です。相談者の言葉を、批判するでもなく共感するでもなくただ「受け止める」。話を聞いている最中に、いくら相談者が「それはちょっとおかしいんじゃないの?」ということを言おうが、カウンセラーは否定しません。
以前個人で起業している方の無料のサービスを使わせてもらってラインでやり取りをした際のことです。「私たちが優しいから優しい答えを期待しているのかもしれませんが、私はちがいますから。」と返されたことがありました。
また、「会社の人に悪口を言われているのが気になる。」という相談をした際、「僕は悪口をいわれたことがないのでわかりませんが」と返されたこともあります。(妹が病気だと診断される前の行動をしているとき)「妹が私に対してひどい言葉を発してくる。怖くてしょうがない。」などと相談したこともありました。それに対しての回答は、その時の私にとっては有意義なものだだったのかもしれませんが、今考えると的外れなものだったと思うのです。今の話は、特定の誰かでなく、不特定多数の方とのやりとりです。
何度も言いますが、批判をしたいという話ではありません。
なにが言いたいのかというと、なにか相談したいことがあるならば、まずは病院にいるカウンセラーに一度相談をしたほうがいいということです。
もし私が、初めから病院へと相談していればこんなに回り道をすることもなかったんじゃないかと思っています。やはり、専門家のほうが詳しいですし、精神病の症状についても知識があり、また、「傾聴」という姿勢でこちらの話を聞いてくれます。料金も、個人でカウンセリングをしてる方よりも安く受けることができます。個人ですと万単位でも、病院だと高くても万単位いくことはそうそうありません。実際、私がお世話になっているところは一回2千円でした。
決して、起業している方がダメだなどといっているつもりではありません。ただやはり、知識の差というのは、専門の心理士と比べたらどうしても見方が違うということです。
今までたくさん本をよませてもらって、こういう見方もあるのか、こういう経験をしているのか、こういう生き方もあるのかと参考になったこともあります。
生きづらいって、一種の心の錆、それと仲良くなるには相当時間がかかると思うんです。
放っておくと、どんどんさび付いて行っていつか動かなくなってしまう。だから、定期的に油をさしてやらないといけない。たまにメンテナンスをして、「大丈夫かな?」と様子を見てあげないといけない。錆がどんどんたまっていくと、一回の錆とりではとれなくなってしまいます。
「何事も、はじめは一流のものに触れろ」
習い事をするときに、先生たちは必ずこういいます。そうすれば、物の価値もわかるし、自分が今どこら辺の位置のものを扱っているのかわかることができ、視野が広がるからです。
ですので、相談をするのも、一度は専門のカウンセラーに相談して、そこから個人でやっているカウンセラーに相談するという方法がいいと思います。妹の件で言えば、専門家であればもしかしたら「妹は精神的になにかあるのかもしれない」とわかったかもしれません。自分に関してもです。
個人でやっている方に相談して、救われた方たちも大勢いらっしゃいます。ただ、そこに当てはまる人たちの中に、「自分ははたして相談しても大丈夫なレベルなのだろうか?」と、一度足を止めて冷静に考えたほうがいいと思うのです。
不安であったり、冷静でいられず生活自体が脅かされている状態だとまともな判断もできません。だからこそ、専門家に一度相談してみてからにした方がいいと思うのです。
確かに、病院に行くのはハードルが高いです。「自分はどこかおかしい」「こんなことくらいで専門家に相談するなんて、甘ったれていると思われたらどうしよう」など不安も大きいと思います。
もし仮に、その通りになってしまったのであれば、一回いったらやめればいい。とにかく一度、専門家のカウンセリングはこういうものなのか、ということを体験してほしいのです。
贅沢を言うと、本当はころころ変えるのはよくないのですが、医者との相性もありますし3か所ほど回ってみるのも手かもしれません。
「英国王のスピーチ」という映画をみたことがありますでしょうか?
吃音の王が、人前で話そうとするとうまく話すことができない。直すためにいろいろなカウンセラーにかかっては「治らない」という現実に苦悩と葛藤するお話です。(とても話がまとまっていてわかりやすいです。テンポもよいので面白いです。)この人も、結局はカウンセラーを初めから信用していないんですね。そもそも吃音だけが原因でうまく話せないというわけではないのですが。ネタバレになるのでいえませんが、カウンセリグにおいて大事なことって信用だと思います。
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昔、仕事中に足首を骨折したことがあるのですが「骨折してます」といわれてすぐに納得することができませんでした。
病院に行く、というと自分が「精神的に問題がある弱い奴」と認めるような感じになり抵抗したくなる気持ちもあると思います。
私もそうでした。引きこもりの弟を見て「学校にいけない」とあちこちの病院をとっかえひっかえ両親と一緒に渡り歩いている姿を見て「病院に言って相談するなんてばからしい。私はああはならない。」と半ば意地になっていました。一向に回復しなければ、「あそこの医者はだめだ。次はあそこの病院の先生がいいというから行ってみよう。」とか「お祓いをしてもらって、見てもらおう」とかまあ本当にいろんなことを試していましたね。今思うと本当に藁にも縋るという状態だったんでしょう。
そんな意地があったので、私自身もカウンセリングに頼りたくない、自分はあんな人間(弟)みたいに弱い人間じゃない!と反発していました。しかし最近妹の件で、眠れなくなったり、命の危機を感じて疲れ切っていたことを通してやっと、病院へ行って話を聞いてもらおうと重い腰をあげたくらいです。
当たり前ですが、相談したからと言って「この人ならわかってくれる!」とはなりません。治療者側も、依存されないようにするために一定の距離をとりますから「それを冷たい」と思われるかもしれません。しかし、それは治療者側の自己防衛。それに仲良くなりすぎると治療にも影響が出ます。そういうものなのです。
信用と依存は表裏一体だと思ってます。
近すぎると傷つけあう、遠すぎれば傷つかない。ハリネズミみたいですね。
自分の性格が弱いから、と言われるのと脳の病気と言われるのとどちらが安心しますか?
実際、ホルモンバランスが崩れたり、脳の働きが原因で精神疾患にかかっているという事実の方が大半だと思います。あとは生活してきた環境と考え方。生活習慣。心の傷。
昔は「精神が弱い、軟弱だから」と自分のせいにしていましたが、「脳が正常に働いていない状態」だと言われると「なんだ、じゃあ脳を正常化させるために治療をしよう」となりませんか?
言い訳にきこえますか?
全く関係ありませんが、昔みたいにいい加減な人が減ったなぁと思います。祖父はもうなくなりましたが、本当に子供心ながら「めちゃくちゃな人だなぁ」と思ってみていました。お酒を飲んで道路に寝たり、飲酒運転当たり前、立ちションも昼間から酒を飲むのも全部。でも不思議と憎まれていなかったんですよね。友達もいたし、なんだかいつも適当でした。適当だけれども、ちゃんと生活をしていました。祖父はきっと「信用」というものを周りからされていたんだと思います。
現代って、なんだか見えない力とか、不安とかそういうものにがちがちに縛られてちょっと動きづらい。
子供の頃がとても懐かしく感じられます。
一生懸命に真面目に生きるのは苦しいので、「ちょっと遊んでくるわ」という感じでフラフラといきたいです。
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