飽きるのが早い。
それまで楽しいと思っていたことが、急に、ストンとつまらないという穴にハマってしまってそこから抜け出せなくなるという欠点がありまして。
新しい環境に入って2か月、そりゃ最初は楽しかった。
無職万歳!仕事しなくていい最高!ってな感じで、毎日勉強してればいいだけなんだからすごく楽。
それが、今年に入ったら急に、つまらなくなってしまいました。
つまらないともう全部つまらないから、人と話すことも億劫になるし、持ち前の自己肯定感の低さでみんなが敵に見えてくる。ああ、私ってどこに行っても嫌われるのねっていう地獄を作り出す始末。
面と向かって嫌いと言われたわけでも、いじめをされたわけでもないんですけど。この思考の癖をどうにかしたいと思いつつできてません。
しまいにはイライラが止まらないし、何かに追われているような感じでずっと焦って何かをしている感じで落ち着かない。ああ、いつもの私のパターンですねとあきれるしかない。
私という人間は、自己肯定感が低いくせに、プライドだけは高い(馬鹿にされたくないからそうみせてるだけ)というやつなので、誰かよりも下になるのが嫌。今までは、私のほうがみんなよりも優れていると思っていたのに急にそのお株が盗まれたと思ったら、途端につまらなくなってしまう。
イソップ物語の狐みたいなやつ。
どうせそのブドウは美味しくないんだろうから、ってあきらめる。
みんなはキラキラ輝いて見えて、私だけとても汚い人間に見えて、ひとりぼっちに思える。どうしたら、みんなのようになれるのかと、いろんなものを身に着けてきたけれども、それをすればするほどますますみんなとの距離がひらいていく感覚。
実際、自分の手元をみてみても、何の実績もないのにただただ積みあがっていくだけで使えもしない資格ばかりが増えていく。
ほしいのは資格ではなくて、実績。成果。やってやったぞ!という感覚。誰とも比べる必要のないもの、経験がほしいのに知識だけを詰めるだけ詰めて、どこにも吐き出していないから頭の中はパンパンで。
話す内容も頭でっかちのつまらない話ばかり。余計知識がある分、人に興味がもてない。
でも、コツコツとやるということも苦手、だって地味にコツコツしていても、その過程を誰も知らなければ、はたからみたらタダの凡人と一緒でしょ。じゃあ一体何がしたかったの自分?と問いかけてみるとすごい人になりたかった。認めてもらってチヤホヤされたかっただけなんです。
そう、すごい人になれば、みんなから認められて、理想の世界に行けると思ってた。理想の世界というのは誰にも馬鹿にされずに、けなされもせず嫌なことも言われない自分に。
だって、すごい人、成功者に「馬鹿!」とか「ブス!」とか、そんなことしないでしょう?だから完璧な人になって、素晴らしい人になってみんなに「あの人すごい!」って言われるような人になれば、そんな嫌な思いをすることなんてないと思っていたんです。
でも、この間も、嫌な顔をされた。
その時気づいた。「あ、わたしは完璧な人になって嫌な思いを感じたくなかったんだな。」って。
どんな人でも、嫌なこと、されたり言われたりすると思う。けど嫌な思いをされすぎて、周りを敵だらけにするくらいに相手のことを考えすぎて、もう嫌な感情に振り回されたり、支配されたくない!毎日ルンルンお花畑の脳みそで生きていきたい!って本気で思ってた。
でもそれって、ロボット?
毎日お花畑で楽しいのはいい。けど、嫌なことを一切感じないで生きることって果たして可能なの?いや無理じゃない?それってなにも考えないで生きるってことなのでは?と。
表現はわるいけれども、発達障害のある方って結構顔が若くていらっしゃる方が多い。
それは、考えないから若いんだそう。
逆に、すごく苦労している人は、たとえ20代でも40代に見える人もいる。どのくらい考えて考えて、グルグルしたんだろう?って思うことがある。そのくらい、顔に出る。
私もここ5年ほど、コロナのせいでマスクをしていたのもあるけれども一気に老化が進んだ。
妹の病気のことで、これからの将来のこととかいろいろ考えたのもある。この先どうなるんだろう。だれがこの二人の世話をするの?親がいなくなったら誰が家の維持費等を払うの?そんなことを考えてたら、あっという間に老けました。
そのくらい考えるって、体に影響がある。
でも抜け出せないときはずっと抜け出せなくて、真面目にこの先のことをどうにかしないとと一生懸命動画を見たり、勉強をしてみたり。そして積みあがる無駄な資格と、途中でつまらなくなって放置する教材と投資金。
そんなときに、じゃあなにをしたら、どんな一日になったらあなたは満足するの?と自分に聞いてみた。
大嶋先生式の「心よ!」です。
そうしたら、「目の前にあることをやりなさい。」と言われました。
今、目の前にあることをやる。それだけのことだと。でも、目の前にあることだけをやっていたら、本当に自分がやりたいと思っていることはできないんじゃない?と焦る。だって、今やっていることは本当に自分がしたいことではないということはわかっているのだから。
それなのに、今やることをやりなさいと言われる。淡々と。
勉強の時間はその時間の勉強を、それが終わって帰宅したらそのあとに自分がしたいことをしなさいと。時間は、ちゃんとあるでしょうと。そんなこんなで今この記事を書いてます。
今の場所には、自分の居場所がないようだけれどもどうしたらみんなと一体感を感じることができる?とまた心に聞いてみた。そうしたら。「なにもしなくていい。だって誰もそんなことを求めていない。あるなら必要なことだけを話しなさい。」と言われました。
たしかに、今まで余計なこと、というか相手の趣味とかそんなプライベートとか雑談を聞いて楽しんでいたけれども、それは一通り話してしまってもう興味がなくなってしまった。だったら、本当に必要なことだけ話していればいいじゃない、と確かに納得してしまった。
それに、雑談だって好かれるためにしていたことだったんだってことに気づいてしまった。だって、もともと人に興味がないのだから、人のあれこれを聞いても興味がないのは当たり前のこと。聞いてどうする。だったら必要なことだけを聞いていた方が楽でいい。でも事務的になるから雑談をしていたのに、ああだからプライベートなこと聞いてたのか、と納得。
私の心は、ひょいひょいと軽い感じで返事をしてくれるから「本当に?」と疑いたくなるけれども。
何も進んでいない、成長していないようできっとなにかは変わっているはず。
年を取って、暗記をすることも考えることも減って、変わらず自己肯定感は低いままだけれどもそれでも何かは変わっていると信じたい。
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