呪文を唱え始めて2か月目と心に聞く

日々のこと

「見限られる恐怖」を唱えてあっという間に2か月が経ちました。

現状、最近唱えていません。

唱えることを忘れてしまっているというか、そこまで大変な思いをすることが減っているというか・・・。不快なことを考えても、「ああ、まあそうだけどしょうがないよね。それがわたしなんだもの。」ということで自己完結で終わることが増えました。

いわゆる自己受容です。

外に出かけていても、「あ!なんかいやな感じ!馬鹿にされている私だけ!」とか「なんかあの人たち私にだけ塩対応しているなぁ」というときぐらいしか唱えないようになってしまいました。イメージ的には、他人からの敵意を感じた時。悪意を感じた時(もちろん自分が勝手にですが)

外出時、不快な感情を感じるのは、誰かからの「嫉妬」か「ミラーニューロン」の影響である可能性が高いのでしょう。

まとめると、前と比べて変わったのは「それも自分だよね」と、自分責めに移行する前に、自分自身を許す、受け入れる思考に切り替わるようになったということ。

朝と夜、起きた時と寝る前に唱えるのはやめていません。

そして今マイブームになっているのは「心よ!」と心に聞くことです。

前にも一度記事で書いたことがあるけれども、「見限られる恐怖」に集中していて遠ざかっていました。

昨日読んだのはこの本です。


この本の内容は、心に聞くことで、外から入れられている暗示やミラーニューロンから解放されて、自分の思考に戻ることができるというもの。

いつのまにか、他人に入れられた価値観や、言葉に左右されてきたことで、思考を操られている可能性がある。そうなると、自分の本心からの行動とは違う行動をとってしまい、人生が自分の望んでいる方向に進まない。だからこの「心よ」と、頭にタグをつけて自分に聞くことで本来の自分に戻り、自分自身の考えで、思った通りの行動をすることができるようになるということ。

つまり、誰にも支配されていない純粋な自分自身の考えで物事を考えられるようになるというものです。

この暗示を入れてくる代表的な人物に「母親」や「両親」などがあります。

例えば、子供のころから、「いい子にしていないといじめられる」と言われて育った子供は、大人になっても「いい子にしなければならない」という暗示を入れられているので社会に出てもそのようにふるまってしまいます。はた目から見たら、「いい子」を演じている人は嫉妬の対象にもなりえるし、何でも言うことをきいてくれるから「使い勝手のいい子」として利用されることになります。

(・・前の職場でもいましたが、極端にいい子は見ているとイラっとします。すみません。嫉妬です。)

暗示なので本人は自力で気づけません。

けれども、「いい子にしていないからいじめられるんだ」と本人が思い込んでいる限り、その地獄からは抜け出すことができません。「自分はいい子じゃない」からみんなに粗雑に扱われると思いどんどん自分を追い詰めていく。そしていい子になろうとすればするほどに、どんどん周りの人からは「いい子ぶりやがって」と嫉妬の対象にされる。けれども、「いい子にしていないからいじめられるんだ」と本人が思い込んでいる限り、その地獄からは抜け出すことができない。「自分はいい子じゃない」からみんなに粗雑に扱われると思いどんどん自分を追い詰めていく。そしていい子になろうとすればするほどに、どんどん周りの人からは「いい子ぶりやがって」と嫉妬の対象にされる。

地獄ループですねぇ。

ここで「心よ!」と心に聞いてみて本当は自分が何を感じているのかを確認してみる。

(イマイチこの無意識さんと心よの使い方の違いがわからない・・・勉強不足)

私は結構人からミラーニューロンやら暗示やらを入れられやすい人間だとわかっているので、自分本来に戻るために、本当に自分が考えていることがなんなのかと確認するためにこの「心よ!」を乱用しようとすることに決めました。

すぐに人から「馬鹿にされている」などネガティブな感情をいれられるので困っているからです。

「心よ!この馬鹿にされているという感情は私のものですか?それとも他人のものですか?」

たいてい、人から入れられているものだと気付くとスゥッと不快な感情が消えていくことが多いです。他人からいれられた感情を、自分が処理をすることはできません。

相手が負った怪我を身代わりしてくれといわれているようなものなので、相手の代わりに自分がその痛みを処理するというとわかりやすいでしょうか?怪我をしたのはあなたなのだから、自分でちゃんと痛がってくださいという感じ。自分は怪我をしていないから、相手の痛みがどのくらいなのかわかることもできません。痛いフリはできるけれども、解決はできません。こちらがいくら痛い振りをしようとも、相手の怪我が治るわけではありませんからね。

それからもう一つ、変化があったのですがそれは唱えてみた人にしかわからないかもしれません。

ので、ここには書きません。

今まで、「あれもこれもしなければいけない」と感じていたのは、もしかして周りからもらっていた感情だったり思考だったのかもしれません。

海外ドラマのシャーロックホームズの1話で、主人公たちが初めて死体を前にした時のシーンが印象的です。

死体がある部屋にいたのは、ホームズ、ワトソン、それから捜査官。

死体を前に、誰もしゃべっていないのにいきなりホームズが「うるさい!」と隣にいた捜査官を怒鳴るんです。捜査官は当然「何も言ってない。」と言います。

するとホームズはこういいます。

考えるな邪魔だ。」と。

この1シーンを見て、本当にミラーニューロンってあるんだと感じ面白かったんです。

また自分語りになりますが、昔から何度か「今なにか言った?」と聞かれることがたびたびありました。もちろん、自分は何も話していないのに。それがすごく不思議で、もしかして自分の目つきが悪いのかとか、態度が悪くてガンつけているように見えたのかと思ったりしていたのですが、自分の頭の中にある思考を読み取られてそう聞かれていたのかも・・と思いました。

あ~

ここで嫌な記憶が湧いてきた・・・子供の頃、反抗期盛りの私に対して、「世の中そんな甘い考えじゃやっていけないぞ。」と、弟が私が何を考えているのか知らないくせに「あの顔はそういう考えをしている」と母をけしかけた時のこと。内容は忘れたけれども、今蓋を開いたら弟なんて数十年引きこもりでなにもしてないじゃないかと思うと笑えます。何を偉そうに人の気持ちを分かったような気をして。これたぶん「俺は何でも知っている」という万能感からきているのかもしれませんし、母の愛を一心に受けている長男特有のものかもしれませんが「ざまあみろ」と言いたい。ああ、脱線しました。

そんな感じで昔からいつも怒りを抱えていたので、ビビビッと伝わっていたのかもしれません。お恥ずかしい。

ところでこの心のワーク、すぐに心が答えてくれるわでではないので、使いこなすまでにまたまた「見限られる恐怖」のように時間がかかるかもしれません。しかし、使いこなすことができれば、他人から入れられた感情から逃れて本来の自分の考え方で行動できることができると思ったら、やる価値はあると思います。

より一層、自分は自分の見方であると感じられ自信が持てるはずです。私がそれを経験しているように。

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