呪文を唱えてみた②

ワーク

ミラーニューロンに続き読んだのは「支配されちゃう人たち」。

次に読んだのはこの本でした。

これも去年1回読んだことがあったので、なんとなくわかったような気がしていたけれども全然わかってはいなかったことを、もう一度読みながら理解しました。本当に、わかった気になるっていうのが一番おそろしいことですね。

去年は、まだ働ていて頭が常にパニック状態だったので、去年と今では全く理解度が違いました。嫉妬の発作を起こしていると、焦りなど不安に襲われてまともに考える思考力も奪われていたということに気づきました。

(ちなみに大嶋先生の本はスルメのように噛めば噛むほどに味がしみこむというか・・そんな文章の書き方になっているそう。)

この「支配されちゃう人達」には、3種類の人種?が出てきます。

光の人、虚無の人、そして支配者。

これまた個人的な解釈なのですが、簡単に説明を。

光の人はそのまま光の人。ヒーローものでいうとヒーローでしょうか?悪は絶対に許さないみたいな感じの人たちだと思います。自分の中に神の教えのようなものがある。自分が正義(悪口じゃありません。)ヒーローだから弱い者いじめなどしません。(意識では)自分の中にある正義が正しいのです。だから一歩間違えると他人に自分の正義を強要、または裁く場合もある。(それは間違っているなど)

次に支配者。そのままのとおりです。相手に暗示をいれて自分の思う通りに動かしたい。もちろん無自覚。「どうして私の愛を受け取らないの?」いうことをきかない相手が悪いのです。それはどうしてなのかというと、自分の愛をうけとらない相手が理解できないからです。学校のいじめっ子みたいなものかなと思うけれども、そんな生易しいものではない。このタイプが一番割合的に多いそう(まじか)。いきすぎるとモラハラとかパワハラになるのがこのタイプではないかと思います。

最後に虚無の人。言葉の通りなんですがなんにもない。興味がない。けれども支配者に支配されやすいのはここの人たち。

私は圧倒的に虚無の人だと思いました。

昔、「この人やだな~」と思う人が同じ班にいたことがありました。その人はあまりみんなに好かれていないんだけれども、表面上は社交的だから華やかに見える。で、私はその人に結構ひどい扱いを受けていた。しかし、ある日近づいてこなくなった。すると私はなんだかさみしい気がして、その人のところへと自分から近づくようになってしまった。相手はもちろん嫌な顔をするし、私もそれをされるたびに「この人に近づくのはやめよう」と思う。思うのだけれども、離れるとなんだか物足りない、おいていかれたようなさみしいような気が止まらなくてやっぱり自分からその不快な人に近づいていってしまう・・・。そんなことがあったのは1度や2度ではなかった。

まるで、昔の母と私の関係のようだ・・。

そんな関係が、支配者と虚無の人の関係。

DVしたあとに謝ってくる夫みたいなものです。暴力(夫の愛)を受け、そのあとに優しくされることで「夫は私を愛している」というわけのわからない矛盾した状態になり正常な判断ができなくなる。「そんなひどい人なら離婚すればいいのに。」といわれるけれども「あの人は私に優しい言葉をかけてくれるの。あの人には私にしかいないの。」と、夫にある意味支配されている状態。

そんなこんなで、とにかく本に書かれていた呪文を唱えてみることにした。

それが「浮き輪モード」と「本音モード」。頻繁に使ったのは浮き輪モードの方。

嫌な人が頭の中に浮かんでくるたびに「浮き輪モード!」を心の中で叫ぶ。叫んでも叫んでも出てくる嫌な人。ちなみにその時頭の中に出てきていたのは毎日顔を合わせるおっさんだった。毎日顔を合わせなければいけないから、自然とそのおっさんも私の頭の中に出てくるのは仕方がないこと。しかし出てくる湧いてくるおっさんが。その人だけでなく、その日にあった気になる人たちが頭の中にぞろぞろと湧いてくる。その中で一番存在感があったのはおっさん。湧いてくる湧いてくる。本当に不快。

頭の中で、おっさんは陰で私の悪口をあちこちに言いふらしたり、態度でも私をさげすむことをしているようにしか感じられない。それがずっと止まらない。

「浮き輪モード」を使っていたら、だんだん効果が薄れてきている気がして、思い出したように「本音モード」も多様。それでも消えなくなってきてしまい慌てて本に書いてあった呪文を総動員する。

めげずに呪文を繰り返し、そこに「思考の中和」をたまに使う。そしてさらに、「見て聞いて感じて」をひたすら不快なことを考え出したら唱える。とにかく唱えまくる。頭に浮かぶ不快なことが浮かんだら、呪文を乱用。そんなことばっかりしていた。この期間が一番きつかった。だって唱えても唱えてもでてくるんだものおっさんがさぁ。たぶん1か月くらいやってたと思います。本当に、寝る以外はずっとなにかしらの呪文を唱えていた感じ。

一番ひどい時期だったかもしれない。よく耐えたと思う。

机に向かっているときも、お風呂に入っているときも。家にいるときも、起きてすぐも、呪文を唱えるほどに「許さない。」とばかりに不快なことをわざと脳が出し続けているのでは?というくらいに、脳内の不快な考えと戦っていた。

そんなこんなである日ふと気づく。どうしてこのおっさん、私の中にこんなに出てくるんだろうと。そのとき、ふと頭の中に大嶋先生の本の挿絵が頭に浮かんだ。そして「おっさんの愛」という言葉が頭に浮かんだのである。

挿絵を見てもらえればわかると思うけれども、愛という名の布で相手をグルグルに巻き付けて絡みとっているそんな挿絵があった。そのグルグルにまかれている布がおっさんの愛でそのまかれているのが自分だと気付いたとき、「おえー!」って思った。気持ち悪い!なんでこんなおっさんの愛に巻かれていなきゃいけないの?その時さらに頭に浮かんだイメージが、私の居心地のいいちょっと暗くてじめじめした空間があるんだけれども、そこにおっさんと私が二人きりでいる映像。ああ気持ち悪い!!わかりやすくいうと、自分の部屋におっさんと二人きり!ってこと。ああー嫌だ気持ち悪い!!

じゃあどうして私、こんなことしておっさんの愛に包まれているの?と。そしたらまたフッと浮かんだ。それは「寂しさを感じたくなかったから」という言葉。

そう、支配者(おっさん)の愛に包まれて私は自分の中にある「孤独」とか「寂しさ」を見ないようにしていたんだなということに気づいた。

ああ、今考えても気持ちが悪い。どうせならイケメンの愛に包まれたい!違うか。

それに気づいてからはとても速かった。うん、とても速かった(笑)

ひたすら「浮き輪モード」を唱えていたのが、急に「近づかない!」に変わった。(これも確か大嶋先生のどれかの本で紹介されていたけれどもタイトルは忘れてしまった)

そして、そのおっさんのことを思い出すたびに「おっさんの愛」という凶悪フレーズも一緒に再生されて余計に「近づかない!!!」と力を籠めるようになった。

そうしておっさんは、私の中から存在を薄くさせていったのである。

でもおっさんの愛はしつこかった。「この人のことを考えなくなったら、悪いことをしているのでは?」とか「私はこの人のことをもっと尊重し、私のこともちゃんとしってもらわなければならないのでは?」とか。そんな衝動に何回もかられた。本当に本気でそうしないといけないような焦燥感とともにそんなことを思わされていた。人はこれを罪悪感というのかもしれない。これ、不快な人が自分の元から離れたら大変なことになると、自分からすりよっていった過去の愚かな自分だな、と客観的に思った。そして、この「この人から離れたらとんでもないことになる」というときの、不安と恐怖のエネルギーはものすごくて、これを振り切るのも容易ではなかったことをここに記しておきたい

その恐怖から逃れるためには、「本音モード」が役に立った。

「本音モード」を唱えると、最初はうまくいかなかったけれども徐々に「ねえ、本当にこのおっさんと仲良くしたいわけ?べつによくない?」と、だるそうな声で私が私の声で頭の中に湧いてくる。「別にこのおっさんに嫌われたってさ、やること毎日ちゃんとやってんだから別によくない?」「でも、私のことをダメな奴といって周りの人に悪口を言いふらしているかもしれないし。だったらそれをさせないように、自分から話しかけて仲良くなったほうがいいんじゃない?」と私は思う。「しかし本音モード」を使うと、「いやいや。そんなやつと仲良くしたって嫌いなものは嫌いで別になんにも変わらないんだから、ほっといてた方がいいって。そもそもそんなやつと、仲良くしたいの?」と、私の中で答えを返してくれる。(これは「心」に聞くと同じこと。たぶん使い方は違うと思う。)

こんな感じで脳内で会話を繰り返しながら、ちょこちょことおっさんの愛から逃れるようにした。しかし本当に長くてしつこかった~。今でもまだ完全に逃れられたとは思えないけれども。出てくる回数は減った。一日20回が1回あるかないかになるくらいには減ったので、劇的だと思う。なにせ毎日のように会うのだから、この変化は大きいでしょう。

そんな感じで、おっさんの愛に包まれる代わりに違うもので包まれたいわ!と思うようになってからは、同時に「ああ、自分はさみしいのね。」とちゃんと自覚するようになった。

結局、自分の中の孤独と向き合うのをさけるために、おっさんの愛に包まれていたりしていたのだということに気づいた。私は孤独ではないと思っていたが、孤独な人間だったのだ。なぜなら、おっさんの愛に包まれている間は、己の孤独にうちひしがれることもないのだから。

しかしこれで話は終わらなかった。

おっさんの愛から逃れても、まだまだすべてが解決はしなかった。新たな問題が発生したのである。

どうも体調が悪いような、だるいような、やる気がなくなってしまった。今考えるとただの燃え尽き症候群?なのか?昨日までできていたこと、勉強とか勉強とか運動とか読書とか。全くやる気がなくなりスマホばかりながめているようになった。内心焦っているのに、全く勉強も読書も手が出ないし、スマホから離れられない。そんなことが2週間ほど続いたのでまさか・・・・鬱?とか考えた。読書は自分の趣味だったから、本をすらすらと読めなくなり頭に内容が入らなくなったことは、自分にとってはとても重大な事件だった。(今考えると、おっさんから逃れたことによる解脱症状。例えばカフェイン好きがカフェインをとるのを中止すると体に症状が現れるあの症状みたいなものかなと思う。)

そこで思い出したのが「ホルモン」。

気候が変動することによりホルモンバランスが崩れこんな状態なのだろうかと考えるようになった。たしかに時期は2月。暖かい日と寒い日が繰り返し、確かに自律神経に影響がでるかもしれないと。

そこで読み始めたのがこの本。


この本ではいろんな呪文が紹介されていた。ケース別に。

結果、この本を読む前にまずトラウマちゃんの本を読むのが先だということに気づいたので、急いでこの本を読み進め次にトラウマちゃんを読むことにした。

なので、全部読み終わってから最後にこの本を読むことにしようと思った。

コメント

タイトルとURLをコピーしました