メンタルヘルスマネジメントの試験を受けてみた

日々のこと

※3月16日に、メンタルヘルスマネジメントの試験2級と3級をうけてきました。


それまでの勉強していたときの話をしたいと思います。

結論。勉強するたび、こんなに嫌な気分にさらされたことが今まであっただろうか?いやない(反語)。

問題をみるたびに、文章を読むたびに浮かんでくる過去の嫌な出来事、人に言われたことに振り回されながら勉強をしていました。

その試験の名前は、メンタルヘルスマネジメント。(タイトルにも書いてあるけれども)

これほど不快な気持ちになりながらした勉強がかつあっただろうか???(# ゚Д゚)

いや本当にマジで。何回でも言いたいそのくらい本当にメンタルに来ました。メンタルヘルスマネジメントなのに・・。

次から次へと湧いてくる今までの職場で言われてきたこと、ムカつく言葉、言い返せばいいのに「自分の方が年上だから。大人だから。」「そんな年下に同じようにブチ切れたら大人げないでしょう?」と無理して大人の対応をした結果、陰で馬鹿にされた記憶。鼻で笑われた記憶。

上司に小馬鹿にされ、にらまれたり挨拶無視されたりした記憶・・・。

ああ、ムカついてしょうがない・・・。

そんな感じでイライラするから、問題を解いている途中でもいらいらして勉強をするために座っていられなくなり中断することを何度繰り返しただろうか?

問題で、上司が~とか、同僚が~などと出てくるたびにイライラが!!

どうもわたしは、参考書の「パワハラ」「上司」「管理監督者」という言葉に反応しているらしい。わかりやすい(笑)

その言葉が書かれている文をみるたびによみがえる過去の出来事。

過去の不快な記憶とともにイライラしながら試験勉強をした。試験が終わるまでは、一発試験を狙っているので毎日勉強を30分でもいいからするようにした。だって、受験料もったいないし。またこんなイライラを感じながら再度勉強するなんて無理。したくない。これが本音でした。

そうはわかっているけれども、イライラが。集中力が切れて大変でした・・。

そもそもこの試験、おととしから興味がありました。

まだ仕事をしていたとき、とろうと思っていたけれども時間もなく諦めていた。でも今無職だし、今後職場で同じようなパワハラ気質な人に会ったら対抗できるようにと受けたのがきっかけです。

(前職にいた体育会系の上司が、人を見る人で、仕事をができない人をほぼ毎日10分間ほど説教したり怒鳴ったり。態度が悪い、気に食わない人にはわかりやすくひいきをする人であった。その犠牲者にわたしもハマってしまっていたことがあります。)

で、それはいいとして勉強して気づいたことがあって。ここからが本題です。

メンタルヘルスマネジメントを勉強するにあたってきづいたことをいくつか。

自分よりも大変な思いをしている人がいるということ。(国家公務員の休職の原因の6割以上が精神疾患って・・・。)

自分と同じように、辛い目にあっている人がいること。

わたしのようにパワハラ気質な上司にではなく、残業が多すぎるとか、膨大な量の仕事を一人だけにやらされるという状況とか経験したことがないようなストレスがあるということ。

日本の毎年の自殺率の高さが多すぎることに危機感を感じたり。(去年の自殺は2万人ほど。しかもそれで過去2番目位に少ないというデータ。自殺の理由は人それぞれだからあれだけれども、それにしても多いと思うのは私だけではないだろう。多すぎるから国でも自殺対策としてそれなりに法を作ったりしているんだからそのくらい危機感あります。)

あとは、最近の若年層の離職の理由が他罰傾向だったり、自分たちの世代とは理由が違うということだったり。自責じゃなくて他罰・・。私は他罰派(派閥みたいにいうな)。

それから心が辛い時の対策として厚生労働省で、心がつらいときに使えるメールや電話などの相談サービスが無料で準備してあるということ。(厚生労働省「こころの耳」で検索)

※よく芸能人とかが自殺を図ると番組の下に出てくるあの電話番号とかと同じものだと思います。

あとは、リラックスの仕方とか、コミュニケーションの取り方とかいろいろあったんだなぁと知ることができました。

そう、悩んで大変なのは自分一人だけではないということに気づくことができました。

実は心の問題で会社を休んだり学校を休んだりすることが恥ずかしい、とか弱い人、という思い込みがありました。(この思い込みは弟・妹のことでそう思うようになっていました)

でも、こういう試験があるということ、機関、対策があるということは決して恥ずかしいということではないということです。

苦しい時、悩んでいるときはどうしても「自分一人だけ」「味方がいない」「孤立無援」みたいな状況にいると思い込んでしまうことがあると思います。でも、国がこういう助けてくれる制度をつくってくれているならば、それに頼ってもいいということ。

「人に頼ることはダメだ」という、思い込みがあるときでも「まあ、国がそういう対策をしてくれているなら使ってみようかな」と、少しだけ心が軽くなるときがあると思うんです。

自分一人でなんとかしなければならない、という私の高い無駄なプライドも失業手当があるということを頼りに無職になろうと決めたことと一緒だと思うのです。

まとめると、こういうメンタルヘルスの試験をするくらい、国がメンタル不調での社会への影響に危機感感じているのがわかる。

今まで自分のことしか見えてなくて、大変だぁなんて思っていたけれども本当に日本って大変なんじゃないの?と思う。生きづらいよねって思う。

本当に、無職になる前にわかったのは、いくら体が健康でも働くことができていても、心が健康じゃなかったらだめだなってこと。それがわかって私は仕事を辞めました。

心がダメだと浪費もするし不健康な暮らしもする。けれども、心が健康だとお金がなくても一人でも余裕があるからちょっとしたことでも幸せを感じることができる。それほどに、心の健康って大事だなって思ったので、自分を守るために仕事を辞めた。心の次が健康。心があっての健康。本当にそう。いくら金持ちでも、心が健康じゃなかったらいつまでたっても幸せにはなれなくて孤独を抱えたまま・・という人もいると思う。できればお金もあって心も余裕で健康!って人になりたいけれどもねえ。

ということで、テストを受けてきたんですけれども結果はどうなのかわかりません。

いや~どうなんでしょうね?(笑)自己採点してないからわからないし、する気力もないので1か月後にわかる結果を気長に楽しみの一つとして待つことにしたいと思います。

試験を受けて驚いたのが、結構大学生の子が多かったことです。若いうちからこういう資格をとって社会に出て活用しようとするなんてえらいのねぇ、なんておばちゃん目線で参加してきました。


さて。

ここからは私の考えですが。

学生が、小学生が自殺する時代ですよ?

いや本当に、それだけガチガチに拘束がすごいのか、将来に希望がないのか、家庭の事情か、逃げることができなかったのか真面目な子だったのか。我慢しすぎて疲れてしまったのか。いろいろと理由はあると思う。

周りの人たちに助けを求められない状況・環境だったのかもしれない。味方がいなくて安心できる場所も話せる人もいなかったのかもしれない。私が想像もできないようなおそろしい理由が他にあったのかもしれない。

わからない。

わからないけれども、親に相談できないっていうのはすごくわかる。「この人たちに見限られたらどうしよう」ってもうそれだけ。だから言えないよね。あとは全く話を聞いてくれない。よりそってくれない。

けれども親も親で大変で、「どうして?こっちは働いて稼いで毎日食事も生活もなにもかもやってあげてるのに!」とか、親自身もいっぱいいっぱいというパターンもある。

うちの親はこのタイプだった。身の回りの世話をするのが親。以上!みたいな。寄り添わない、話を聞かない八つ当たりをする。

いやいや。身の回りの世話をするだけでそれって動物園の飼育と一緒やん。って思う。

(なんか急にカップラーメン食べたくなってきた(笑)シーフードのやつ。)

でも大人になるとわかることがある。

親もそれどころではなかったということが。今の時代とちがってネットもないし、まあモノも少ない、不登校に対する理解も精神病に関する理解もない。学校に行かなければ、教師が怒鳴り親が扉をたたきに来るような時代があった。(でもこの気持ちは自分も親と同じ年齢にならないと理解できないこと)

精神科も昔のようになかったし、間違えれば入院するほどの病気にさせられるかもしれない。適応障害なんていうのもないから。なにを甘えたことをいっているんだと精神論的な話で終わらせられる。しばらくして学校に行けば、理解のない、あるふりをする友人クラスメイトに囲まれて面白そうに見られる。教師なんて信じられない。お前が問題を起こせばこっちが困るんだ、というのが見え見えである。

陰口悪口なんて教師の耳に入るはずがない。

自分を守るために強い振りをすればするほどかわいくないやつだと攻撃される。受け入れられない。

そんな悪循環、もちろん家でも悪者扱いはれ物扱い。

「どうしてそんな子になっちゃったの?」

いやしらんがな。お前らの動物園飼育が問題。(ああお口が悪い)

そもそも、なぜ知らん人間と一緒に教室にいて仲良くしないといけないのか?同じことをしないといけないのかっていう問題。

協調性がありませんね、部活をしないと内申点がね、どこ見ていってるんだろうか。そんなこというならしょっちゅう陰口たたいている人間のことも書いたらいい。随分とお口が悪いようですねとかね。批判的ですねとかね。反抗的だけれども、大人の前ではいい子ですよとかね。

あの狭い世界にいるときは本当に逃げ場所がなくて大変だった。

学校って何のためにあるんだろう?今でも思う。

社会に出て出勤時間退勤時間を守るようにするため、っていうのなら別に学校じゃなくてもいいんじゃないのか?今オンラインや在宅で仕事ができる時代だし。

行きたくなけりゃ学校休んじゃえ、と過去の私にいってやりたい本当に。我慢しすぎると、いつかガタがくる。その前に逃げよう。私は一回ガタが来て、でもそれでも無理を通してやってきて後悔していることもある。本当にたくさんある。

同窓会の案内なんて2回くらい断ったらもう来なくなったし。成人式行かなかったっていうと、驚かれるけれども、体調が悪くてとかなんとか嘘をつけばその場で話は終わる。

そもそも同窓会。なにそれおいしいの状態である。行きたい人がいったらいいじゃないか。厄年のイベントだって出たことが一度もない。でも特に困ったことはないのです。

まとめると、「無理して学校に行くくらいなら将来使えそうな資格をとって好きなことを見つけてそれに打ち込んでさっさと自分の人生を、生き方を価値観を積み重ねたほうがいい」と思います。

あとはたっぷりの睡眠と、寝る前2時間前のスマホの禁止、適度な運動はとてもメンタルにいいのでお勧めです。

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