威圧的、視線、些細なことで一瞬にして子供のように委縮してしまう時があります。
そうなると、自動的に「自分は相手よりも下」となり謙虚に、というよりも恐怖にさらされ背筋も曲がり不安で恐ろしくなることがあります。
また、ギリ普段通りふるまったとしてもそのあとに「自分が立ち去った後に何か言われるんじゃなかろうか?」とおびえながら、その場を立ち去ることもあります。
例えば、コンビニで会計をした後、ハロワで相談した後、図書館で本を借りた後、自分が去っていく背中にその人たちがなにかしら会話を始めるだけで「自分のことかな」と恐ろしくなり怖くなることがあるんです。
これは、「見限られる恐怖」では克服できていません。
根本的に、「自分は他者にさげすまれるどこかおかしい人間」という思いがあるのかもしれませんし、ただ自己肯定感が低いからなのかもしれません。
あるいは、社会に出てできた心の傷が原因なのかもしれません。
これがあるせいで、人との距離感が図れずに、いつも初対面の相手とも知らず「主従」の関係のようになってしまいます。
相手から失礼なことを言われたり、自分だけ適当に挨拶を済まされることも多々あります。いわゆる舐められる、というやつですね。
人に大切に扱われないのはとても自尊心が傷つきますし、避けたいことです。
そこで
「知能指数のジオラマ」という呪文を唱えてみました。
またまた大嶋先生の本からです。大好きだな~私。
本来はお金持ちになる呪文、だったはずなのですがいつも感情に振り回され転職を繰り返している自分にとってはぴったりの呪文。
感情のなにがいけないのか?というと、感情によって本来の目的、ゴールがわからなくなり不快なものに目が向くことでどんどん意識的になり貧乏になっちゃうよ~というのが貧乏まっしぐらになる理由です。
「あの禿上司むかつく!やめてやる!」
「同僚ばっかりひいきされて腹が立つ!こんなところにいられるかぁ!」
すべて感情に支配された結果、今までの経験、キャリアを捨ててまた一から始めなければならないから一向に給料も増えないし、転職回数も増える。
だから貧乏になる。お金がたまらない。
自分を不快にさせたやつらはずっとあの会社にい続けて、いい生活をしているのになんて自分は惨めなのだろうか?というのが現実。あそこで我慢していれば、また一から人間関係を作ることも、給料が下がることもなかったのに・・・と後悔してもあとの祭り。
確かに身に覚えがあります。ありすぎて耳が痛い。
本来の使い方とは違うのかもしれませんが、この「知能指数のジオラマ」を唱えると、人との距離感が保たれ、自分は自分、相手は相手、と距離をとり相手の気持ちを勝手に想像することが激減しました。
たとえば、相手を気遣って話を盛り上げようと話好きでもないのに話つづけてみたりすること。
本当は興味もないし、苦手なのに相手に話しかけたりすること。
「したほうがいいかな」と思ってやってあとで「やらなくてよかったじゃないか」と後悔すること。
上げればキリがありませんが、そういう他人に対して気を遣うということが減りました。相手をどうにかしてやろうという気持ちといったらいいでしょうか。
ジオラマってこういうのですよね。↓小さく作りあげた世界。

それぞれの知能指数を「心」に聞いて、その高さにふさわしい態度をとる。
知能指数が低い人に、高い人がへこへこしていたら変ですよね?学校の先生が、生徒に対してへこへこ謙虚な態度をしていたら舐められちゃいますよね?
私のイメージ的には、それぞれがそれぞれの知能指数にあった高さの山のてっぺんに立っているイメージ。例えば知能指数が90の人は標高90mの山の頂上に、知能指数140の人は標高140mの山の頂上に立っているイメージを思い浮かべました。
それぞれが、それぞれの高さにいるので交わることはないし、見える景色が違うのも当然に異なってくる。高いところにいる人の方が、全体を見渡せるので人よりも知能が高いといわれるのもわかります。
問題は、知能指数が低い人が高い人よりも「俺すごいんだ」という間違った勘違いをすることにより、相手に蔑まれ舐められたりするということ。(謙虚さ、またそういう心理状態で)
そして知能指数の高い人は大体自分に原因があると思い込む傾向があるので、それをやめようね、そのために知能指数を「心」に聞いて確かめてそれにふさわしい態度をとりましょうというのが大嶋先生がおっしゃることでした。
それ以来、この呪文を外にいるとき、人と何かを話しているとき、ちょっとこの人圧が強いな、などとにかく不安になったら唱えるようにしています。
私の頭の中では、隣の山にいる人と適切な距離を保ちながらずっと会話をしている感じなので下手に自分の領域を踏み荒らされるということは今のところないです。もし今後あるとすれば、その人はヤバい人なんだと思うので速攻逃げたいと思います。
一定数、いますからね。
これからも呪文を試していきたいと思います。
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