子供の頃や学生時代に言われたことをたまにふと思い出すことがあります。
たいてい、ネガティブな言葉です。
その言葉の中の一つが
「何笑ってんの?」
です。
この言葉をいつ言われたのか覚えていませんが、今までこの言葉の意味を間違って記憶していたのかもしれないと気付きました。
昔から、小馬鹿にされたり、怒ってもいいようなことを言われても笑ってごまかして「とにかくこの場を荒らさないように」ということばかり気にしていました。
なので、「何笑ってんの?」という言葉の意味は、「空気を読み間違えて、笑ってはいけない場面で笑ってしまった自分」に言われた言葉だと解釈していました。
だから、「空気を読めずに笑ってはいけないところで笑ってしまったダメな自分」に言われた言葉だと思い、この言葉がずっと脳の表面に剥がしたシールの残りカスのようにこびりついていました。
ですが、最近思うのはもしかしたらその言葉は、私が誰かに小馬鹿にされたのに、空気を読んで笑ってごまかした態度を見て「どうして反撃しないの?」という意味で「何笑ってんの?」と言ったのではないかぁと思いました。
「あんた馬鹿にされてるのよ?なんでへらへら笑ってるわけ?怒りなさいよ。」
もしかしたら、そういう意味で言われたのかもしれません。
本当に、受け取り方を間違えると、何でもかんでもマイナスに捉えてしまうものですね。
そんなことを考えていたら、そういえば学生時代、必要最低限誰とも話さず、孤独で誰ともつながらずに一人でいたことが多かったけれども「いじめられたことはなかった」ということに気づきました。
陰で何かは言われていたかもしれません。あの時の私は周りにどう映っていたのかわかりませんがきっと周りに「いい人」あるいは「無関心」な人がいてくれたおかげだと思います。
いじめられていたかもしれませんが、気づけないほど鈍感だったのかもしれません。
「悪意をもった行為」が多くなったのは、社会に出てからです。
学校という世界から飛び出すと、本当に年齢も職業も学歴も何もかも違う人たちがいる大海原へ放り込まれる。いろんな事情を抱えている人たちがいる。しかし、学校と違うのは、行く場所、働く場所、これからのこと全部含めて自分が選べるということです。
学校は行かないといけない、という価値観も今はもうだいぶ緩和化されてきていると思います。ネットもありますし、いろんな資格もとれますし自由度は高いと思います。たしかに、親は何か言ってくるしめんどうくさいことはたくさんあります。社会と違うのは、逃げ場がないということでしょう。
だから、なおさら苦しい。
でも、学校に行かなくても、数年我慢すれば勝手に年を取って、勝手に成人式を迎えて大人になっていく。
その我慢の時期に、何をするのかは個人の自由だけれども今は、大人でも会社に行けなくて困っている人もたくさんいます。還暦近くても、家から出れなくて困っている人もいます。だからその時間に、たくさんの本を読んで知識をごっそり蓄えておくのもいいかもしれません。
だから、別に無理して学校なんていかなくてもいいんじゃないかなぁと、当時学校に行きたくなくて我慢していた私は思うわけです。
学校に行く、ということを真面目に考えなくてもいいんじゃないかぁと思ってしまう。義務、と言われてもねぇ・・・という感じです。義務は親の義務ですし。
だから学校に行かないってなると、親は騒ぐわけです。
「行きたくない」っていう子供は悪くない。
私自身、小学校までは楽しかったけれども、中学にあがってからは人との距離感がわからなくなりました。新しく友達を作るということもなんなのか?その頃から、人と関わるということが下手くそだったんでしょうね。いや、小学校の頃もそうでした。嘘つきました。
まぁそれを埋めるために、見栄をはるために営業の仕事をしてきたのだから、ストレスは計り知れませんでした。自分から人に話しかけたりしないといけない。毎回、「死ぬわけじゃないし!」という気持ちで人に話かけていました。おかげで緊張というものをあまりしなくなりました。今考えると猛反省、しかし、得たものも多かったと思います。
学校に行くのは正しいです。でも、苦しい時もあります。
仕事に行くのも大変です。生活のために働くって、なんだかむなしいです。また嫌な人いたらどうしよう?うまくできるかなぁ?人間関係いいところかなぁなんて想像して不安もあります。
そんなことを、無職の今考えているわけです。
立ち上がるのに、時間がかかっているけれどもそれでもいっかーと思うしかない。ずっとこのままなわけがないって「知っている」ので。
なんだかんだで、なんとかなるものだと知っているので。
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