無職生活もうすぐ10か月目になります。こんなに長くなるなんて思いませんでした。
順調に?減っていく口座残高と、それでも働く先にあるかもしれない「人間関係」の恐怖になかなか「働こう」という覚悟が決まりません。
恐怖と不安で、先に進めない=面接に挑んでも逃げ腰で煮え切らない自分に何度嫌悪したでしょうか。何度責めたでしょうか?
そのたびに「今もどこかで鬱などにより会社を休職している人も、同じように自分を責めているのだろうか?」と考えて悲しくなりました。頑張ってもどうしようもないことはあるのだな、と思いました。何かしらの事情で、働けない、行動できない自分を責める人があちこちにいるとしたら、うまく言葉にできませんが、「無理をしなくていい」「そんなに頑張らなくてもいい」と、言いたくなりました。
そうして、こんなになるまで無理をする必要なんてないよなぁと本当に思い、「自分のために生きる」ために必要ないのは「いい人」でいようとする自分であるということがわかりました。
他人に「嫌われないように」生きてきたいわゆる「いい人」だったために、どうしたら「いい人」から抜け出せるのかまだ模索中です。
「いい人」をやめるには、「人に親切にしない」「困っている人がいても放っておく」「嫌いな人には構わない」など、今までやってきた「やったほうがいいこと」を辞めるのがいいというのはわかるんですけど。条件反射でついつい「いい人」になりそうで、怖いです。
そして、その隙間から「嫌な人」などが自分を攻撃してきたら?と考えるとまた不安に襲われます。
「いい人」は「言い返さない」から、今まで言い返しませんでしたし、上司に不満を漏らすのも本当に限界を超えてからしかしませんでした。「迷惑をかけるのはいけない」とか「こんなことを言ったらなんてわがままでこらえ性のない奴なんだろう」と思われる評判も気になっていたからです。
「いう前」から勝手に妄想していただけなんですけどね。
話は変わりましたが、「どうしようもないこと」を「どうにかしよう」としても、それは結果的に自分にまた無理をさせることなのだなと知りました。辛いから休んでいる、動けないから何もできない。
ただただ毎日が無為に過ぎていく。
今日ももうこんな時間だ。一日が終わる・・。
やろうとしたことも、なにかをやろうと思うこともなにもない。退職する前は「小説を書こう」とか「資格の勉強をしよう」とかいろいろ考えていたのに今はただ時間を無駄に消費しているだけという事実。
そうして自分を責めるたびに、ただ一日を無駄に過ごしているだけという状況を「受け入れる」「許す」というのはとても難しいことだなぁと感じます。
休んでいる間にも、他の人たちは毎日会社にいったり、子育てをしている人は子供を育てたり「なにかしら」役に立つことをしている。それに比べて自分は・・・と、他人と比較してまた自分を責めてしまう。
こんなに辛い気持ちをで毎日を過ごしていたら、心が壊れてしまう。でも、すぐには何も変わらない。今できることはとにかく「なにもしない」ということ。
「意味のあることはしない」と、言い聞かせるだけでした。
かといって、心から「しない!」といって、なにもしない=非生産的なことをするというのは無理というもの。心の葛藤が半端ありません。
結局、自分を責めるのは「自分が自分を許していない」ということがすべての原因なのだと思います。
そして、「すべての答えは自分の中にしかない」ということもわかりました。
自分にピッタリな答えを探しに旅に出ても、外にあるのは他人が見つけたその人なりの答え。完全に当てはまるはずがありません。ニュアンス的には会うかもしれませんが、生まれも育ちもなにもかも同じ人はいません。双子でさえ、なにもかも同じ趣味嗜好ではないはずです。
たくさん、「正解」を探して本を読んできました。家の中にも、本がたくさんあります。在宅ワークしたいと思いライターになるための本や心理学、健康、ダイエット、家計管理、コミュ力などなど自分に足りないものを埋めるための本が並んでいました。しかし、そのタイトルを見るだけでも苦しくなることがありました。タイトルを見るたびに、「ああ、今日も何もしなかった。」と。
ライターを目指そうとして、本を買ったけれどもなにもしていないし、浪費癖を直そうとして本をかったけれどもこちらもなにもしていない。買っただけ。「話し方」「愛想」などのタイトルの本は見るだけで吐き気のような、もやもやした気持ちに襲われます。
そしてふと、思いました。
「なんかもう、全部いらない。手ぶらで、スーツケースだけでどこか遠くへ行けるくらい身軽になりたい」と。
そう急に思い立ちまして、前に図書館で借りた本を思い出しました。
この本の内容がとてもよく、作者の方が師と仰いでいる人の本を読んでみようと思いました。それが一番最初の「ガラクタすれば自分が見える」です。
読んでいる途中からものをガシガシゴミ袋に入れ始める自分がいました。開かずの間になっていたクローゼットを開けて、そこからも物を出してゴミ袋に放り込み始めました。見るたびに嫌な思いがする服やバック、いつか使うかもと思っていた本や資料なども。
不快な気がする本を棚にしまうのはやめて段ボールにしまい、代わりに漫画など好きなものを棚に入れました。勉強系の本はすべて捨てました。メルカリに出していた本も買い取りに出しました。古い携帯も、リサイクルに出し、処分に困っていた燃えないゴミ類も処分をして捨てました。
そうして捨てながら気づいたことが一つ、私は「もうがんばらなくていいよ」と言ってほしくて、これらの本を買ったんだぁということです。漫画も「家族や仲間と和気あいあいとした関係」がほしくて、これらの漫画が好きなんだなとわかりました。そして、昔からずっと手元にある本は「ただそこにあるだけでいい」という存在になっていることがわかりました。「いるだけでいい」。それが、自分にも当てはまるときが来ればいいなぁと思いました。
不思議なことに、片づけをすればするほどものが前よりも増えたような気がするのはなんでだろうか?というのが今の感想です。ゴミ袋で5つほど捨てたのに、片付ける前よりも部屋の中に物がある・・。捨てたら、まるで住宅展示場のように、すっきりと物が減る(机の上にはなにもなく、家具も少ない)と思っていたのですが全然そんなことはなく。ですが、出ているものすべて使うものなのでどうしようもありません。
二段のプラスチックケースもなくして、いらない書類も捨てて・・なのに増えているように見えるのはなぜなのか?たまに見かける部屋になにもないミニマリストってすごいんだな、と思いました。
そういえば、片づけをしている間に臨時収入がある人もいると書いていましたが、私に起こったのは「メルカリに出していた商品が3つ売れたこと」でした。まあ、もともと自分だけの荷物を片付けているだけだし、宝くじを買ったわけでもないので期待はしていませんでした。体重は・・今後に期待したいです。最近涼しいので食欲が増しました。
片づけを通して気づいたのは、過去の清算をガラクタとともに行うこと、捨てづらいもの(燃えないゴミとかデータを削除できなくて捨てられないスマホ)を捨てることにより「捨て方のわからないゴミ」と向き合うこと。いらないもの・集めたものを見て、「なにがほしかったのか」「何を求めていたのか」でした。
この「自分が求めていたもの」がわかれば、これから先何かを欲しくなった時にあまり迷わなくていいのではないかと思いました。私の場合は「頑張らなくていいということ」「あるがままの自分を受け入れること」「さびしさを補うための愛情のようなもの」でした。
例えばスーパーに行く前に、献立を決め買うものをメモしておくと余計なものを買わずに済みます。しかし、メモをしていなければ、「今日は何を買おうかしら?」と献立を考えたりしながらうろうろとスーパーにいる時間が長くなります。人生もそれと同じで、「自分が必要としているもの」がはっきりとわかっていれば、何かに迷ったときに「これだ!」と答えを出すのが早くなると思いました。
人生って長いですが、その先には必ず「死」がありますよね。昔から「死は希望」だと思っていました。最近は「死は人生最後の通信簿」だとも考えるようになりました。
死ぬ前に、ああすればよかった、もっとこうしておけばよかったと思えば通信簿の評価はちょっと低くて、「ああもうやりたいこと全部やったわ!」と思えたらオール5。十分生きた!って思えると思います。
必要なものがわかっていれば、やろうとすることもはっきりするのかと思います。
そもそもどうして会社を辞めたんだっけ?と今更思い出したら「自分のために生きる」のが目的でした。それなのに、ブレブレになり「働けない自分はダメだ」とかちょっと脱線してました。
会社に勤める>>>>>>>やってみたいこと・自分のために生きるになってました。
怖いですね。まあ、働かないと食べて行けませんしね。
すでに面接で8社落ちているので、「社会に必要のない無価値な自分」という気分になるのも当然と言えば当然です。しかしこのおかげで、「向いていない職場」というものがあぶりだされた感じです。お呼びでないところにはいかない、それだけのことでした。(人はそれを強がりとも言います(笑))
他人がいいというものや、誰かの価値観に振り回されて「こういう会社にいったほうがいい」とか社会の波のようなものに巻き込まれ・・というか、洗脳されていた気もします。自分で考えることをせずに、ただそれにならうという人任せな行動をしていたんだと思います。誰かがいう、みんながいう「幸せ」や「成功」や「当たり前」から、自分は外れて生きるしかないんだなと、それでもいいと許した時から何かが始まる気がします。
怖いですよね。めちゃくちゃ怖いです。
でもそうしないと、自分が保てないならもうしょうがないじゃないかと思いました。これが「諦め」というやつかもしれません。
よく「諦めたら」「手放したら」いいことある、みたいな話をあちこちで見るのでそのうちなにかいいことあればいいなぁと思いまた面接行ってきます。
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